2016年3月19日 (土)

Keith Emerson RIP

今週は長かった。やけに、しんどかった。仕事では新しいこと、面白いことが沢山あったが、心の底からは喜べない不思議な暗さを振り払えないでいた。その理由は分かっている。だが前半は、状況が分からず、後半は、そうだったのかという感じで。

キース・エマーソンが逝ってしまった。しかも、銃で自分を撃って。なぜ?どうして?あんな自信の塊のようなミュージシャンが自らの存在を自分で否定するとは。彼がそこまで思い詰めるには、いったい何があったのか。4月には日本公演の予定まで組まれていて、そのプロモーション・ビデオにも出演している。それなのに、なぜ?

支えるものの無い空虚さは、ようやく状況が分かってくると、やはりそうかという虚しい諦めに変わる。キースは完璧な完璧主義者だった。常に最高のロック・キーボード・プレイヤーでいなければならなかった。だから、それが出来なくなると、王者キース・エマーソンではいられなくなってしまったのだ。

ミュージシャンとして、ほかに道はいくらでもあったと思う。バンドのプロデューサーとか、コンポーザーとか、後進を育てるディレクターとか…。でも、キースはあくまでも現役のプレイヤーでいたかったのだ。気持ちは分かる。

ロック・ギタリストからはまったく異次元の存在だった。ステージ上にタンスのように並べたムーグ(当時は「モーグ」と読んだ)シンセサイザーをケーブルの抜き差しまでしながら使いこなし、ピアノは立って弾く、変拍子は当たり前、ピアノ線は手で掻き鳴らす、ハモンド・オルガンは傾けて引き摺り回す、ミニムーグを持って走り回る…。誰もキースのようには弾けない、というのを誰も疑っていなかった。

クラシックを題材にロックを創る、という分野の先駆者である。だから、グレッグ・レイクの「Luckey Man」や「The Sage」が弾けるようになっても、キース・エマーソンに近付けたわけではない。近付く方法すらない、というのが限りなく正しい。

ピンク・フロイドのリック・ライト、ドアーズのレイ・マンザレク、ディープ・パープルのジョン・ロード。あのころのロック・キーボード・プレイヤーがまた一人減ってしまった。

キーボード・ジーニアス、キース・ノエル・エマーソン Rest In Peace.

 

2015年12月30日 (水)

トヨタ・シエンタのCMに「マシュ・ケ・ナダ」

強烈なピアノの左手フレーズから始まるイントロに、思わずテレビを見てしまった。トヨタ・シエンタのCMに、セルジオ・メンデスの「マシュ・ケ・ナダ」が使われている。15秒CMではほとんどピアノのイントロだけで終わってしまうが、トヨタの公式サイトには「シエンタ・ギャラリー」があり、フルスペックのTVCMやイメージムービーが「これでもか」と載っていて、「オー、アリアーアォ」が全部聴ける。もちろん、期限の保証はないにしても。

シエンタは、セルメンそっくりの顔をしている。いや、逆か。こういうデザインにしたら、CMの曲はこれしかないだろう、という展開だったのかもしれない。

手元に、「万国博のセルジオ・メンデスとブラジル'66」というレコードがある。サイズはEP盤だが、33・1/3回転でA面2曲メドレー+1曲、B面2曲のミニアルバムになっている。「♪こんにちは、こんにちは、世界の国から~」という三波春夫の唄が思わず出てくる、1970年の大阪万博。その千里丘陵万博ホールでの4月5日のライブを収めたものだ。ライナーノーツの書き出しは以下の通り。

「セルジオ・メンデスは、エメラルドやコーヒーと並んで、ブラジル始まって以来の最上級の輸出だ」、とはあちらの評論家の言ですが、まさしく彼はそれまでごく一部のファンや研究家の間でしか興味を持たれていなかったブラジルの音楽を、広く世界のポピュラー界に紹介してくれたと言えるでしょう。

大阪という土地柄、ツカミの挨拶が面白い。「モカリマカ?」、儲かりまっか?と聞いているのだ。ここで会場はワッと沸く。続いて、「ミナサン、コンバンワ。セルジオ・メンデス ト、ブラジル・シクスティシクス デス。ドウゾ、ヨロシク」で大歓声。いいですね~。45年前ですよ。

シエンタCMに使われているのはスタジオ盤に違いないが、このライブ盤のエンディングが「マシュ・ケ・ナダ」なのだ。曲の後半には恒例のメンバー紹介もあり、そのたびに会場が沸く。

ここからが本題。ちょうどこの時期から、オーディオ装置業界は「4チャンネル・ブーム」に入る。1970年の「サンスイQS-1」がその火付け役だった。それまでの前方左右2チャンネルに、後方左右2チャンネルを加え、音を前方左右の線から、前後左右の面にしてみせた。これは確かに、当時としては凄かった。

「サンスイQS-1」には、ライブでのステージと客席を再現する「ホール」モードと、スタジオ録音での各楽器を周囲に定位させる「サラウンド」モードがあった。当時盛んだったオーディオフェア等のイベントで、盛んにこの「ホール再現」に使われたのが、このセルメン万博アルバムだったのだ。クールなアレンジの「フール・オン・ザ・ヒル」なんかは、当時はビートルズのオリジナルを知らない人の方が多かったに違いない。ホントです。

もうひとつ、「ホール再現」によく使われたのが、サイモン&ガーファンクルの「バイ・バイ・ラブ」。名アルバム「明日に架ける橋」の中の唯一のライブ曲だが、これも見事に客席の手拍子が後ろから聴こえた。ちなみに、この歌の中で2コーラスめの”Bye bye sweet cares”を、ふたりのどちらかが”Bye bye hapiness”と歌詞を間違えているのだが、どちらかは今聴き直しても判らない。声はたぶんアーサーだと思うが、もう時効だ。それほど、当時のポップス少年はマジメに英語を聞いていた、ということですよ。

そして、「サラウンド効果」によく使われたのが、デイブ・ブルーベック・クワルテットの「テイク・ファイブ」。ブルーベックのピアノと、ポール・デズモンドのアルトサックスが前の左右にいて、ジョー・モレロのドラムスは前後左右。ドラムソロのパートなんか、まるで自分が叩いているかのようにドラムスが周囲に定位している感じだった。感激したなぁ。もちろん、フェアの会場などでは高級なアンプやスピーカーを使っているから、というのがあるとしても。

その後、おきまりの各種方式や規格の乱立・対立などがあって、さらに日本の住宅事情からしても部屋の四隅にスピーカーを配置して大音響で楽しむという文化は普及定着せず、唯一の可能性であった車内空間カーステレオの世界でも(そんなことしてて、何かあったらどうするんだ、メーカーが責任とれるのか)という安全優先で、音場空間再現という4チャンネルステレオは下火になって行くというのが歴史的推移だが、その技術はドルビー・サラウンドなどで現在の5.1チャンネルホームシアター等に引き継がれているのでありおりはべり、いまそかり。

良いお年をお迎えください。

 

 

2015年10月 4日 (日)

ストラト、復活!

しばらく5弦ギター状態だったストラトキャスターを、6弦ワンセットで張り替えた。チューニングはまだ安定しないが、これは時間の問題だ。

ことの起こりは、エアロスミスの「トレイン・ケプト・ア・ローリン」を6弦ビシビシで弾いていて、切ってしまったから。原曲はヤードバーズ、ジェフ・ベック&ジミー・ペイジ時代の「ストロール・オン」。印象的なメイン・リフは、ほとんど6弦だ。

1弦や2弦が切れるのは、ほとんどがチョーキングの時である。キュ~と引き上げた左手の薬指に突然手応えがなくなって、右手のピックも空を切るような感じになる。プチッと切れる音すらも聞こえないのが普通だ。一瞬、何が起きたか分からなくなり、二瞬めで「あ~ぁ」とがっくり来る。という状況はソロパートの肝心な時に起きる。

ところが、低音弦の場合は全然違う。1弦から3弦は単線弦で太さの違いだけだが、4弦から6弦は単線弦をさらに細い線で巻いた巻線弦だからだ。4弦が切れることはまずないが、5弦と6弦はとにかくハードロックのカナメのようなものだから、前期ツェッペリンなどをガンガン弾くとやっぱりブリッジ上で切れる。しかし切れるのは中の芯線のほうで、周りの巻き線は残っているから、いきなりの切断状態にはならない。つまり、突然「ブヨン」とトーンダウンするのだ。これも一瞬、何が起きたか分からなくなり、二瞬めで「あ~ぁ」とがっくり来る。これは、メイン・リフで押しまくっているときによく起きる。

切れた弦をそのままにしておいても仕方がないので、ストラトから6弦を外してしばらく5弦ギター状態で弾いていた。別に弦の予備セットが無かったワケではない。じつは、何となく面白そうだったからだ。

例えばストーンズのキースが、この状態のオープンチューニングで弾いているのは有名。でもそこまで行かなくても、この単なる6弦無し5弦ギターというのは、もしかしたら(ギター始めたいんだけど…)という入門希望者には敷居を下げるという意味で結構イイのではないか、と思う。つまり、誰もが最初に苦労して諦めるFが、Cと大差ない指配置で押さえられるからだ。ハードロックをガンガン、という方向でも無い限り、フォークギターを始めたい、コーラスの伴奏をしたい、という人にはかなり有効だろう。セーハしないことで、ギターコードを制覇すると言う「なんちゃって練習法」になるかも知れない。

とは言うものの、こちらはいつまでもそのままにしておくことは出来ない。6弦がないと弾けない曲はたくさんある。ベンチャーズの初期の名曲の数々もそうだ。そもそも、テケテケが出来ないではないか。ハードロックに限らず、アコースティックな曲でも、6弦で最低音を作っている場合が多い。やはり、有るべきものは無いと。

ということで、次の出番に備えて、ワンセット新調完了。レスポールでは出来ない、アームでグイーンと落ちる曲作りはストラトならではである。これだけでも嬉しい。新しい弦はキラキラ・チャラチャラと明るい音がする。イメージ的には分かるが、これも厳密にはなぜだか分からない。不思議だ。でもまあ、そんなことはどうでもいいよね。

 

2015年9月22日 (火)

「やばい」は、ヤバイ!

文化庁による平成26年度「国語に関する世論調査」というのがあったらしい。日本語の乱れだの、敬語や慣用句の誤用だのと必ず話題になるものだが、もともと「言葉は時代と共に変化していく」と思っているので、「そういう状態か」と思うだけで、正誤を断する判定に加わるつもりは無い。

とは言うものの、その中で気になるものがあった。「やばい」=危ない・危険な状況、ではなく、「素晴らしい・すごい」という意味で使う人が、10代後半で9割、20代で8割とか。これはすごい割合だ。

初めて直接聞いたのは、昨年の秋。自転車の国際レース、ジャパンカップ宇都宮の市街地クリテリウムで、沿道の鈴なり歩道ギャラリーとして偶然隣にいた(明らかに20代、制服姿の)OLお姉ちゃんから。パレードラップの1周目は、各チームごとに沿道の大観衆に手を振って笑顔を振りまいてゆっくり通る。しかし2周目は一斉に各車集団でレーススピード。ここで一気に雰囲気が盛り上がる。すると隣の彼女が「うゎっ、やばい!」「やばい!」「やばい、やばい!」と叫びだした。隣のオジさんには「やばい?なにが?」という感じだったが、程なく(あ~、なるほど)と分かった。「すごい!」と言っているのだ。たぶん初めて見たのだろう。3周目には全車スローダウン、チームごとに隊列を整えて、スタートラインに向かう。

当日のクリテリウムの結果はこの際どうでも(よくはないが)よい。オジさん達が「やばい、間に合わない」などと言っている間に、若者達は「自分には手の届かない状態」という意味を昇華発展させて「素晴らしい」にしてしまっていたのだ。これは歴史だ。たぶん、もう逆行はしないだろう。あとは現行世代が滅びて行くだけで、後世の研究家が、「【やばい】は、この時期に意味が変化して行ったものと思われる」という論文を書くに違いない。今の我々が、古文の「いとをかし」をワハハ爆笑の「可笑しい」とは思わないのと同じだ。

ところが、である。これを知識として知っていたのは、実はかなり前だ。昭和51年(1976年)5月発売の単行本、ジャズ・ピアニスト山下洋輔氏の「ピアニストを笑え!」(晶文社)を出てすぐに買って読んだ。主に当時の月刊「ヤマハ・ライトミュージック」誌の連載を集めたものだ。その中の「セシル・テイラー 蜜月の終わり」編に出てくる。しかも、その記事自体の初出は「レコード芸術」誌、昭和48年(1973年)7月号だ。今年は昭和90年、山下洋輔は42年も前に、この「やばい」を次のように書いていた。

セシル・テイラーを聴いてから、しばらくぼうっとしていた。(中略)「今世紀最大の見世物だ」「あれならワンコンサート百万円取っても高くない」「あれが世界というものだ」「一時間半弾きっぱなしで汗ひとつ かきやがらない」「あの踊りと歌はなんだ。やばいなあ」(注 「やばい」はバンド用語で物すごいという意味にも使う) ←この注は原文
こんなことをとりとめもなく考えながらふらふら歩いていると、若い男がひとり寄ってきた。「山下さん。どうでしたか」「すごく良かったです」(続く)

これが42年前にあったことだ。当時すでに、「やばい」(とても自分には手が届かない)「すごく良かった」という意味合いが出来ていたのだ。それを明記した本が、かの文筆家・山下洋輔師によるものであるだけに、その異質な組み合わせを隠れ弟子はずっと忘れていなかった。バンド用語という狭い世界から、世の中一般に広まるのに40余年を費やしたというだけに過ぎないのだろう。「やばい」という感覚は、やっと陽の目を見てきたのかも知れない。

平気な顔をして言ってやろう。「昔から、ミュージシャンはそう言ってたよ」。

 

2015年9月 5日 (土)

スカボロー・フェアの記憶

先輩から、素敵なブログをご紹介いただいた。

「那須ダイアリーnew」(あみ さん)

http://amisabunew.blogspot.jp/

素敵な、という月並みな一言では恐縮の極みで、穏やかで静かな気品あふれる抒情詩的なブログ、という感じ。

なかでも、ぐっとマイッたのはこれ。

始まりの一枚と一冊

http://amisabunew.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html

ペーター・ホフマンの歌う「スカボロフェアー」を知ったのは…、で始まる。

「スカボロー・フェア」は、たぶんほとんどの人にはサイモン&ガーファンクルのポップスとして知られているが、元は(今でも)イギリス北東部の民謡である。スカーバラ(Scarborough)の市(いち、Fair)を題材にしている。

「スカーバラの市に行くのですか?」「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」「そこに住んでいる人に伝えて下さい」「彼女はかつて、真実の恋人でした」

当時の中学生は、この「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」をそれぞれ女性の名前だと思っていた。その後もずっと。それなのに、なぜ三人称単数現在で続くのかな、と思いながら。

「縫い目も針仕事もなしで、綿のシャツを作ってくれ」「枯れた井戸でそれを洗ってくれ」「イバラにかけてそれを乾かしてくれ」「海と砂浜の間に1エーカーの土地を探してくれ」と、出来ないことを延々と要求する。そして、「そのとき、彼女はわたしの真実の恋人」になるのだと。

出来そうにないことを次々に要求し、それを叶えた者の求愛を受ける、という筋書きは洋の東西を問わず普遍的にあって、日本で言えば「竹取物語(かぐや姫)」がその古典型である。

そして、それはそれで活かしながら、ポール・サイモンはそこに当時の反戦メッセージを載せた。それがタイトルの「スカボロー・フェア/詠唱(Canticle)」になっている。後半は二つの旋律がまるで一つの歌のように補間しあいながら展開する。

「丘に舞い散る落ち葉が、銀色の涙で墓石を洗う」「一人の兵士が銃を磨く」「真紅の大軍が戦いの炎となり」「将軍は兵士たちに殺せと命じる」「自分たちでも遠い昔に忘れ去った理由のために」

16チャンネルのマルチトラック・テープレコーダーがまだ無くて、8チャンネルを同時に2台、手動で合わせて作ったとかいう話をどこかで読んだ気がする。たぶん、本当だろう。

ハードロック兄ちゃんになる前のポップス兄ちゃんは、サイモン&ガーファンクルが大好きだった。ギターが弾けないうちから、S&Gの歌は英語で歌っていた。周りには疎まれながら、だけど。

あの頃は洋楽系の情報源と言えば月刊の「ミュージック・ライフ」誌くらいしかなくて、アルバムチャートでアメリカ・ビルボードでは毎月上位が入れ替わっているのに、イギリスのニューミュージック・エクスプレスでは「明日に架ける橋」が1年以上君臨し続けていたのを覚えている。遠い昔の話だ。

那須の「あみ」さん、ありがとうございます。

 

2015年3月22日 (日)

演奏中に弦が2本切れたら

自分では実際に経験が無いが、「ステージで弦が2本切れたら」どうするか、というアンケートがあった。ヤマハの「ライトミュージック」誌、1975年4月号増刊「ロック・ギター」。巻中に「第一線ロックギタリスト・ベーシスト、25人直撃アンケート」という企画があった。「弾き始めた年齢と動機」「好きなミュージシャン」等々の定番項目に加えて、「2本切れたらどうするか」という質問がある。

回答で驚いたのは、成毛滋。「そのままやる。演奏し始めて10分めで切れて、残り40分やったこともある」。しかし、いくら何でもこれは無茶だ。読んだ時にすぐそう思った。スペアなしの1本勝負でやっていた、ということか。これだと、成毛滋の華麗なギターソロを期待していたお客さんは不満だろう。

高中正義は現実的だ。「スペアを用意してある。曲の途中だったら困るけど、やめるわけにはいかない」。たぶんこれが多数決回答ではないか。ただ、その「曲の途中」をどうするか、が問題だ。

洪栄龍は、「切れた弦にもよるが、最低、コードの作れる範囲ならその曲は弾いてしまう」。井上堯之は、「まず弾き続けられるかどうかを考えて、ダメなら弾かずに弾いているふりをする。止まらないことが必要」。水谷久は、「曲の途中はそのままで持ち応えられると思う。曲が終わったらスペアと代える」。竹田和夫は、「ギターをとりかえる」。安倍俊幸は、「1本めが切れた時にすぐ取り替える」。つまり、その曲はなんとか終わらせ、次の曲の前でスペアに替える、ということだろう。「曲を中断して弦を張り替えたり、スペアにかえる」という回答は大村憲司だけだった。

石間秀機の回答はもっと具体的だ。「チューニングの変わってしまうギターだったら弾き続けるのは不可能。曲にもよるがスペアを使う」。つまり、ストラトキャスターは1本でも切れた時点でブリッジ裏のコイルスプリングとバランスが変わってしまうので、残りの弦の音程が上がってしまう。それも均一にということはまずないから、「ストラトだと無理だろう」になるのだ。逆に、最初の成毛滋の回答は彼のトレードマークでもあるレスポールが前提だということが読み取れる。(ちなみに、石間秀機の「フラワー・トラベリン・バンド」はこのページだけで2か所も「STB」と誤植があるが、既に時効)

最後に、この世界で「哲学」に初めて出会った回答がこれ。細野晴臣、「めったにないけど、まず2本もあれば十分に演奏を続行できる。次の曲の前で何らかの処置をするが、3本切れなかったことを感謝するだろう」。彼はベーシストとして、つまり4本中の2本という事態を想定して答えている。世の中にはこういう方向で考える人がいるんだ、というのは当時の高校生には強烈に衝撃的だった。

自分でも経験的には、2時間イベントの軽いBGMを担当した際に最初の10分でレスポールの1弦が切れ、その曲をなんとか乗り切って、残りをスペアのストラトで無事に収めたことがある。ホソノ哲学的には、「ストラトまで切れなかったことに感謝」しているのだ。感謝の心は大切だ。

 

2014年12月14日 (日)

そう言えば、ハワイアン・ナイト

そう言えば昨年の今頃、宇都宮のダイニング・バーで「年忘れハワイアン・ナイト」を企画した。場所は、宇都宮にあるハワイ、「ダイニングバー・アトラクト」。

出演は宇都宮のハワイアン・バンド、「レイ・アイランダース」。「生バンドによるハワイアン演奏+フラダンスの夕べ」というイベントで、大いに盛り上がった。

あっと言う間の楽しい2ステージ。ラストは会場アンコールの「浜辺の歌」。最後にバンドマスターとお嬢様お二人に花束贈呈のパフォーマンスがあって、お店のイケメン・マスターを囲んで集合写真の記念撮影。愚輩は閉会式の司会で、写真枠の右外。

ということで、ご報告ほぼ1年遅れとなりましたが、素晴らしい夕べでした。ちゃんちゃん。

 

2014年8月16日 (土)

ジョン・レノンと同じメガネ、ください

ジュエリーと時計やメガネを扱っているお店でアルバイトしている、という若いお姉さんから聞いた話。

毎日いろんなお客さんが来るが、ある日、へんなオジサンが来た。会社を選択定年で退職したので、メガネを新しくしたい。今までずっとマジメなサラリーマン風のメガネだったので、これを機会にイメージを変えたい、ということらしい。

7年前に作ったという今のメガネを見ると、なんと折り畳みの部分が左右とも壊れている。つまり、折り畳めない。最初の2年ぐらいで左側が折れ、ずっとそのまま工具用の補修テープで固めておいたら、2年前ぐらいに今度は右側も同じように折れて、やはり同じように自前で補修してある。誰が見ても、シロウトがテープぐるぐる巻きで止めてあるという感じだ。人前で恥ずかしくないんだろうか。ないんだろうね。

でも今度メガネ作るのは本気らしくて、会社の近くの眼科医さんで作って貰った処方箋を持って来た。なんでも、高校の先輩で詳しい人がいるので相談したら、「絶対に眼科医に行って処方箋で作って貰うほうがいい」「いきなりメガネ屋さんでアルバイトのネエちゃんなんかに(失礼な)、ハイ今度は見えますか~?とか言われて作るとロクなことがない」「やっぱり眼科医に行って、メガネ用以外にも眼圧だの視野だのいろいろ調べて貰って、白内障とか緑内障とか飛蚊症とか、そういう機会じゃないと自分じゃ判らないだろ」「いつまでも若いと思ってちゃダメだぜ」とか何だとか、いろいろ言われた事をあれこれ演説したそうだ。

こういうお客さんには、お店の立場としては「そうですよね~」と話を合わせていれば良いのでラクに違いない。処方箋はそのまま使わせて貰い、今のメガネを預かる。ここからはネエちゃんではなく、お店側もオジサンの出番だ。ヘンなオジサンの言う事には、「そのメガネなんですけど…」「はぃ」「眼科医さんで、【ぅゎっ、これカキョーセーですね】って言われたんですよ…」「う~ん、そうかも知れませんね」「カキョーセーって何ですか?って聞いたら…」「はぃ」「【過矯正】、矯正し過ぎってことなんだってね」「そうです」。専門家の権威を見せる場面だ。

眼科医での話が続く。「でもね、メガネは勝手に過矯正になったりしませんから」「はぁ」「それは、貴方が年を取ったということなんですよ」「なるほど」。理屈が通っている。処方箋を作る段階では、そういう会話だったらしい。

遠近両用レンズのカタログで屈折率だとかを選んで、じゃあフレームは…という時になって、オジサンは持って来た大きな手提げ袋から、何かを大切そうに取り出した。ジョン・レノンのアルバム「イマジン」。しかも、今のCDではなく、発表当時(編集部注:1971年)の30センチLPだ。アルバム・ジャケットの顔の大きさがほとんど実物に近い。

「このジョン・レノンと同じメガネ、ください」。オジサンはそう言ったそうだ。ジョン・レノン、当時31才。今のオジサンとはかなり違うが、オジサンは全く気にしていない様子。「どうぞ、よろしくお願いします」。そのお姉さんの話によれば、お店は100年近い歴史があるそうだが、レコード持ってメガネ買いに来るようなヘンなお客さんはたぶん初めてなんじゃないかと思う、とのことである。

オジサンはジョン・レノン風の丸いフレームを決めてからも、あれこれ止まらなかった。「バンドでギター弾いてるんだけど」「どうしても、【レット・イット・ビー】と【イマジン】を弾きたくて、ピアノも少し」「メガネはずっとマジメ会社員風だったから、この機会にジョン・レノンになろう、と思って」「そろそろ午後の血圧測る時間なんだけど、上がってるだろうなぁ」。

そのヘンなオジサンというのは、実はだいたい見当が付いている。たぶんきっと、あの人だと思う。

 

2014年7月 8日 (火)

癒しのオルゴール

最近、具合が悪かったりケガをしたりで、病院・医院に行くことが多くなった。自己責任だから表面上は平静を装っているものの、いろいろと反省材料は多い。待合室でぼ~っとしている時間もたまにはいいものだ、と何も考えずに過ごしているが、なんとなく待合室には「ある傾向」があるような気がしてきた。何も考えずに、というのは結構むずかしい。

BGMがオルゴールのことが多いのだ。特に、人が多くて周囲の話し声が多い大きな病院よりも、中小病院、特に個人医院などではかなりの割合で、待合室のBGMにはオルゴールが流れている。

  • クラシックでも、ポップスでも、それなりに誰もが何となく聞いたことのある曲
  • ゆったりしたテンポで、安心して聞いていられる
  • 音量がほぼ一定で、劇的な起伏もないので展開に驚かない
  • 歌詞がないから左脳的な言語解釈の必要がない
  • きれいに澄んだ美しい音色
  • 一人の奏者が一つの楽器を弾いているだけという単純な想定

などなど、せっかくぼ~っとしていられる時間にあれこれとその理由を考えてしまった。たぶん、これはこれで、かなりその通りだろう。そもそも、まったくの無音というのはその場の見知らぬ人どうしの緊張感を高めてしまうに違いない。

そして、ここからが独自の仮説。初めは、本当に本物の各種オルゴールを収録したCDが流れているのだと思っていた。もちろん、そのとおりの場合もあるだろう。それがほとんどかもしれない。

しかし、本物のオルゴールは物理的には回転体だから、曲の長さにはある程度の限界がある。そんなに長くないうちに、ダ・カーポで最初に戻って繰り返しになる。なるハズである。ところが最近、そうではない曲を聴いた。聴いたから驚いてこれを書いている。

ゆったりしたテンポ、単一の音色、ほぼ一定の音量という「オルゴールらしさ」を保ちながら、主旋律や伴奏和音などが少しずつ変化していって、そのまま聴いていてもて違和感まったくないのに、いつまでたっても最初に戻らない。まるでクラシックのシンフォニーのオルゴール版のようなものだった。ドキドキしながら聴くオルゴールというのも珍しい。なんなのだ、これは。

つまりあれは、オルゴール音をデジタルデータで創り、もちろん人がシンセで弾くのではなく、打ち込みデータで再現したバーチャル音源のオルゴール曲だったのではないか。だとすれば、いかにもオルゴールらしい曲というのはいくらでも作れる。そうとしか思えない。受付のお姉さんに聞いてみる勇気はないけど。

澄んだオルゴールの音とその音楽に、人の心を和ませる、人を癒す働きがあるということが経験的に判って、それを新たな音楽領域の創造に積極的に活用した事例、ということになるんでしょうね。

2014年5月 4日 (日)

MAY THE 4th BE WITH YOU.

今日は、「スターウォーズの日」である。 May The 4th Be With You. 5月4日と共にあらんことを。一般社団法人 日本記念日協会も認定しているそうだ。

May The Force Be With You. この言葉に出会って、この言葉を支えにしてきて、既に三十数年。目に見えない心の力を信じてきた。フォースを使うんだ、自分を信じろ。フォースってなに?心の力だよ。

「スターウォーズのメインテーマ」のメロディは、今や幼稚園生でも知っている。だが個人的にいつもぐっと来るのは、1作めのエピソード4「A New Hope」の中の「Return Home」だ。惑星タトゥイーンでルークが養父母の農場に戻ると、帝国軍に襲われたあとだった、という場面。その後、何度もいわゆる悲しみの場面で使われる。これは胸に詰まる。

そして一番好きなのは、2作めのエピソード5「The Empire Strikes Back」の中の「Yoda's Theme」。惑星ダゴバの沼に沈んだXウィング機インコムT-65を修行中のフォースで引き上げようとして果たせず、「ダメです」とヘタるルークに、ヨーダがフォースで引き上げて見せる感動的なシーンで使われる。これまた胸に詰まる。ルーク「し、信じられません」、ヨーダ「だから、出来んのだ」。そうなんだよ。

ちなみに、日本語プログラミング言語「Mind」の源流は「Forth」である。もちろん、ここでは深入りしない。フォースと共にあらんことを。

2014年3月23日 (日)

ラバ・ザ・ミクソリディアン

相変わらずヘンな題名だが、このラバはLoverではない。騾馬、ロバとウマのアイノコだ。英語では、mule。ミュールと言っても、サンダルではない。

ディープ・パープルの曲で一番好きなのは、「ハイウェイ・スター」でもなく、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」でも「ブラック・ナイト」でもなく、この「ミュール」。アルバム「イン・ロック」の後、「マシン・ヘッド」の前の、「ファイアー・ボール」に入っている。

歌詞がまた何を言っているのかわからない不思議なタワゴトで、逆説的によく分かる。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」あたりが典型的だが、ディープ・パープル(というより、ジョン・ロード)にとっては演奏の品質・構成の独自性・既存からの意外性・商業的なヒット性のほうが重要で、たぶん歌詞の中身なんかはドーデモよかったに違いない。例えば、クリームがそうだった。

イアン・ペイスの終始一貫したドラミング・パターンは素晴らしいの一言。こういうのは、ほかに聞いたことがない。もしあれば、「ミュール」のパクリだと多くの人に思われるだろう。ライブの名盤「メイド・イン・ジャパン」では、「ハイウェイ・スター」「チャイルド・イン・タイム」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」に続く4曲めに収録されていることでも、彼らの中での位置付けはわかる。30センチLP2枚組という物理的な制約の中で、1972年当時の演奏順が実際はどうだったかとしても、だ。

曲の基本コード進行は、A/B/D。Bmではなく、Bなのがニクイところ。このパターンはクイーンによくある。そして何より、メインフレーズのコードはA/G。リッチー・ブラックモアのフェンダー・ストラトとジョン・ロードのハモンド・B3がお互いユニゾンでメインフレーズを昇って行き、ジョン・ロードが2回めの帰り道でキースケールに沿って3度上の音をを重ねて降りてくる。この、キースケールに沿って、というのが実はとんでもなく重要なのだ。

ハードロックの様式美には、メインフレーズの長3度上にまったく同じフレーズを乗せる手法がある。ギターで言えば、4フレット上で同じリフを弾いて重ねる。キーボードと違ってギターならやれば簡単にできる。それはそれで効果的だが、どちらかというと意表を突くという面が大きく、メロディアスという雰囲気にはならない。

「ミュール」のジョン・ロードは、そうではなくAスケールの構成音で、いわゆる「譜面に書いたら上に乗る音」をそれぞれ重ねている。だから、長3度もあれば短3度もある。極めつけは、アクセントコードのA/G。つまり、Aメジャースケールの「シ」を半音下げて、定番Aキーのハードロックスタイルにしている。

メインフレーズを「ド=A」から昇って行くときにはAメジャーのイオニアン・スケール、行き着く先は「シ♭=G」で見事なミクソ・リディアン・スケールで降りてくる。この美しさは感激ものだ。理屈がわかってなくてもワクワクする。というよりも、このワクワクに理屈はいらないだろう。

この曲の真髄はスタジオ版だ。曲全体の収録にはフェイザーが多用されていて、イアン・ギランのボーカルも、リッチー・ブラックモアのギターも、不思議な浮揚感で漂っている。リリース後のライブではギターの出番もないような、イアン・ペイスのドラムソロ用ナンバーになっているが、スタジオ版はジョン・ロードに支えられたリッチーの独壇場と言っていい。ソロ前半のムチャ弾きから、アームでグイーンと落ちるメロディアスなソロ後半など、聞かせどころ満載である。ジョン・ロードの思惑通り、リッチー・ブラックモアも一般的なブルーノート、いわゆるクラプトン・スケールではなくクラシカルかつポップなスケールで弾いていて、意外性に息をのむばかり。一般的にはほとんど知られず、評価されていないのが残念だ。

バンド編成という意味では、クリーム編成・ツェッペリン編成もいいけど、やっぱりディープ・パープル編成が理想かなぁ、と思わせれられることも芝々。

「ミクソ・リディアン」というヘンな名前のスケールを知ったのは、高校の時に読んだ山下洋輔「ピアニストを笑え」からである。大事な本だったが、震災で本棚が倒れたあと、どの段ボール箱に入ったのか行方不明のままだ。

今は亡きジョン・ロードに、幸いあれ。2年前に亡くなった弟が一番好きだったアルバムは、ディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」だった。

2013年12月22日 (日)

左手の薬指

何やら意味深な題名だが、指輪の話ではない。運指の話だ。ところが「うんし」と言ってこの字が浮かぶ人はまずいない。「指使い」と言い直すと、これまた何やら怪しげな雰囲気になる。

正確には覚えていないが、2年くらい前に意識して始めた運指で、長いギターソロフレーズが劇的に弾きやすくなった。簡単に言うと、指の腹でベタッと押さえていた音も、指を立てて真上から押さえるようにした、ということだ。

例えば、Eキーのソロフレーズで、5弦14B→4弦12D→4弦14Eという形の繰り返しがあったとする。これまで長い間、これを薬指の頭→人差指の頭→薬指の腹、という繰り返しで弾いていた。

これだと、確かに音はそう出るのだが、4弦14Eのキメが甘い。つまり、ハンマリングオン・プリングオフというアタック音にならない。ここを聴かせ処にしようとしても、出来ない。それまではほとんど無意識にそう弾いていたが、あえて意識して変えてみた。左手の手首を下からぐっと向こうに出し、この例で言えば最後の4弦14Eを薬指の頭で垂直に押さえる。これなら、速いフレーズでも粒の揃った音になる。そうなると、空いている中指を5弦14Bに出せる。これが重要。当然、中指の頭で上から押さえられるから、こっちもアタック音になる。それぞれの指の動きに無駄がなくなる。

つまり、流れるフレーズの中でも指の腹で押さえるような横着をやめれば、それぞれの指で範囲分担・機能分担がすっきりできる。例えば、ツエッペリン初期のギターソロによくある、6弦から1弦まで一気に階段を登って行くようなフレーズだってずっと楽に弾けるのがわかった。これまで低いほうから弦2本ずつ、指の頭と腹で押さえて弾いていたのがまったくお恥ずかしい。

でも何故、これまでそんな弾き方をしてきたのか。思い当たるのは、ふたりのジェームズ。ひとりは、ジェームズ・パトリック・ペイジ。あのレスポールを低く構えた持ち方。あれを真似すると、手首を向うに回す、なんてのはとても出来ない。身長180センチ、指の長いジミーだからできるのだろう。

そしてもうひとりは、ジェームズ・マーシャル・ヘンドリクス。こちらも、身長180センチ。昔なにかで見たジミヘンの写真で、これまた長い薬指をべたっと寝せて弾いているのがあった。かなり印象的だったので、よく覚えている。だがもしかするとあの写真は、歌っている時にギターの音を止めたところだったのではないか。今となっては知るよしもない。

そんなこんなで、これまで経過音を薬指の腹で押さえるようなことを長い間やって来たことがわかった。ずいぶん遠回りをしたものだ。しかし、気が付いて良かった。何よりも、自分で探り当てた方法論なので、それなりに誇らしい。自分で言っていれば世話はないけど。

2013年12月15日 (日)

山奥のハワイアンバンド

秋の奥日光に行ってきた。神橋や東照宮の前を通り、日光いろは坂、中禅寺湖、戦場ヶ原という名所を通って、世界遺産の空気を味わってきた。じつは、紅葉を楽しみに、というわけではなく、ここに書くほどだから、もちろん音楽系のイベント。

バンド側、というより、自分側からの記録はこちら。
http://www.tonchinkan.biz/article/eventures.html

会場さん側、というより、参考にさせて戴いて違和感ないように書いた記録はこちら。
http://gakushuin-ouyukai-branch.jp/tochigi/archives/3624

当日は昼過ぎからほとんど弾きっぱなしで、夜遅くには左手の人差し指が引き攣ってよく動かなくなった。こ~んなことは初めて♪

2013年7月28日 (日)

コンサート・フォー・ジョージ

イギリスでは、ジョージ・アレクサンダー・ルイ王子ご誕生でお祭り騒ぎのようだ。でも、ジョージと言われると…

ジョージ・オーウェルなら1984年。ジョージ・ブッシュなら湾岸戦争。ジョージ・ルーカスならスター・ウォーズ。日本人ならアイ・ジョージ、柳ジョージ、所ジョージ。漢字でよければ山本譲二。何が言いたいの、と言われる前に、やっぱりジョージと言えば(いや、ジョージと言っただけで)、ジョージ・ハリスン。

2002年11月29日、ちょうど1年後のアニバーサリーとしてロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで「コンサート・フォー・ジョージ」が開催された。実行委員長は、もちろんエリック・クラプトン。探せば画像も動画もいくらでもあるし、ちゃんとした公式サイトもある。 全てを収めたDVDも作られている。
http://www.concertforgeorge.com/

ここに揃った顔ぶれが素晴らしい。まるでアルバム「オール・シングズ・マスト・パス」のパーソネルそのまま。いや、まるで「バングラデシュ・コンサート」とでも言うべきか。第一部はジョージの師、ラヴィ・シャンカールのお嬢さん、アヌーシュカ・シャンカールのシタールで厳かに始まる。それにしてもシタールというのは不思議な楽器だ。あのフレット幅の並びは理解を超える。

第二部が本編。ギターにはエリック・クラプトンはもちろん、エレクトリック・ライト・オーケストラのジェフ・リン。トム・ペティはハートブレイカーズまるごと。ボトルネックのフレーズはマーク・マン、渋くバックを支えるアンディ・フェアウェザー・ロウ、アルバート・リー、ジョー・ブラウンもいる。

キーボードには5人めのビートル、ビリー・プレストン。プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー。ベースはクラウス・ブアマン。ドラムスはジム・ケルトナーとジム・キャパルディ、ヘンリー・スピネッティ。サックスにはジム・ホーンとトム・スコット。狂気に近いパーカッション類は、レイ・クーパー。

そして父親のギターを一生懸命に弾き、コーラスでハモる、ダーニ・ハリスン。エリックに紹介されて出てくるリンゴ。リンゴに呼ばれて出てくるポール。ダーニは本当にジョージそっくりだ。「まるでジョージだけが若くて、まわりのみんなが年取ったみたい」と、ダーニの母オリビアが言ったというのも頷ける。ステージ奥には、かつてのフィル・スペクター・サウンドを再現させるロンドン・メトロポリタン・オーケストラ。

選曲も素晴らしいし、演奏も素晴らしい。ちょっと変わった観点から面白いのは、不揃いとマジ揃いの対比。不揃いはギタリスト達だ。これだけいると、並んで弾いていても握りのコードポジションはみんな違うし、曲によってはカポ位置まで違う。オリジナルに忠実にとは言え、それぞれ自分に弾き易い場所で弾いているのがよく判る。一方のマジ揃いはドラマー達だ。後半のリンゴも入れてステージには4人揃ったが、スティック捌きまで全員ぴったり合っている。フィルインの箇所なんか見事だ。これはどういうことなのか、よくわからない。こんなすごいメンバーのバンドでそう何度もリハーサルできる日程はないだろうに、素晴らしい。そう言えば、女声コーラス二人の肩の振り方、腕の振り方もぴったり合っている。そういうものか。

日本だったら、しめやかに一周忌とかになるところだが、ジョージはいい曲をたくさん残したし、いい友達にも恵まれた、ということなんだろうと思う。ダーニのお開きの挨拶が、Thank you All, Thank you very much, He loves you.  こんなことが実際に起きていたんだから、音楽って素晴らしい。

2013年2月17日 (日)

成毛滋のメリー・ジェーン

先月の朝日新聞休日版Beの「うたの旅人」で、『メリー・ジェーン』が取り上げられていた。読んだ人も多いだろう。成毛滋は、個人的には何人かいるギターの神様のうちの一人だ。

「ミュージックライフ」誌などを読み始め中学生には、初めは名前の読み方も分からなかった。とにかくウマいという評判と、ジミー・ペイジを意識した服装などで畏敬の対象だったが、最初に買った解散アルバム「グッバイ・フライドエッグ」の品質が決定的だった。

次に「フライドエッグ・シューティングマシン」に遡り、これは日本のロックの歴史的一場面だと確信する。前に四人囃子の記事でも書いたが、とにかく世界を相手によく研究している。レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルはもとより、クリーム、ユーライア・ヒープ、エマーソン・レイク&パーマー、キング・クリムゾン等々、よくここまでという感じで吸収し、自分達のサウンドにしていた。

今回の朝日新聞の記事は、つのだ☆ひろのメリー・ジェーンとして始まる。今でも世間ではそう思われている。しかし、実はそのストロベリー・パス時代の曲作りには、成毛滋が大きくかかわっていたということだ。知らなかった。しかも、ギターではなく、ハモンドオルガンでだ。成毛滋は、キーボードは独学である。トランスポーズもない当時のハモンドで、Cmの曲をよく作れたものだと思う。

忘れられないのは、グレコのレスポールに付いてきた「成毛滋のロックギター講座(上巻)」というカセットテープだ。これで初めて、8ビート・ピッキングとその重要性を覚えた。最初は何を言っているのかも分からなかったが、あれを身に付けているかどうかで、ギターワークは全然違う。たしか、現金書留を送って「下巻」も買った。そう言えば、今どこにあるだろう。

つのだ☆ひろ、高中正義の二人に比べ、芸能人としてあまり派手な存在ではなかったが、それもまた成毛滋らしいところだ。とにかく、人気よりも実力、技術力を優先させていた。2007年に亡くなっていたのを知ったのも、かなり経ってからだ。

「メリー・ジェーン」のポイントは、CmとGmの組み合わせである。やってみればすぐわかる。常識的なG7ではなく、Gmなのが何とも切ない雰囲気サイコーである。成毛滋のギターソロもジミー・ペイジ風の歌い上げで素晴らしいが、この曲にはローターオルガンが似合う。楽器屋さんでシンセをプリセットからオルガンにして、+3トランスポーズしてAm-Emで弾き始めると必ず店員さんがこっちを向くのが面白い。

2012年10月14日 (日)

ストラトキャスターのブリッジを換装

2弦12Bをグイーンと15D相当までチョーキングした所で、アーニーボール011がブチっと切れた。あ~あ。弦が切れた瞬間というのは、本当にがっくりくる。昔はよく「不吉な前ぶれでは…」とか思ったが、どうやら経験的には弦が切れたからと言ってそれほどの事も起こらず、ただ気分的に落ち込むだけだ。

しかし、1本だけ張り替えるというのは、これも何度かやったが、あまり良い結果にはならない。その1本の音だけがキラキラして、どうにもまとまらなくなる。結局は1本切れたときが諦め時で、6本全部張り替える。

となると、これも前から気になっていたが、ブリッジ周りが長年の手汗でかなり錆びている。特に低音弦のマウントあたりはボロボロだ。こういう状態でも切れやすくなっているのではないか。思い切って、ブリッジパーツを交換してみよう。

ということで、本当に思い切って、フェンダー・ストラトのブリッジを交換してみた。詳細はこちら。
http://www.tonchinkan.biz/article/eventures.html#update201210

換装は無事完了、状態も良好だ。よかった、よかった。

2012年9月23日 (日)

トヨタ・アクアCMにブロンディのハート・オブ・グラス

フツーにテレビを見るというフツーの暮らしをしていないので、人気番組だの人気CMだのというのはあまり分からない。とは言っても、たまたま見かけて「エッ?」ということはある。

トヨタ・アクアのCMに懐かしい曲が流れている。ブロンディの「ハート・オブ・グラス」。1979年の大ヒット、“ブロンドちゃん”デボラ・ハリーのイメージが鮮やかで、男数人を引き連れて君臨する様子は、こりゃ紅白歌合戦なら絶対に紅組だ、という感じ。

この曲そのものはいたってマイルド。「恋をしたことがあるの/でもガラスのハートだったわ」「信じられなくなって/恋なんてどこかへ行った」「私を無視しないで/一緒に続けて行けたのに」

じつは、この曲は素晴らしく斬新に出来ている。イントロの不思議なパターンのポコポコポコパコは当時出始めのシーケンサー。そのあとは、ほぼ押さえ放しのキーボードに、これまたかなり波長の長いフェイザーが幻想的なウネリの位相浮遊感を掛ける。ところがギターはジャキッという金属的なカッティングであくまでも現実的に曲を進める、というわけだ。

最高に素晴らしいアイデアは、リフレインコーラス。4・4/4・4で来たリズムパターンを初回で4・3/4・3と変拍子にフェイク。ここでみんな「おっ」と驚く。また次に聞けるのを期待して待っていると、次からは毎回4・4/4・4で、とうとう最後までワクワクしながら聞いてしまう、という計算されたニクい仕組み。ビートルズだったら、こういう冒険は曲の最後に仕掛けておくだろう。

そう言えば、デボラ・ハリーの笑顔っておよそ思い浮かばない。いつも鋭い目をしていた…、なんて思うと、んぢゃ画像検索してみっか?なんてすぐに思ってしまうのが今時のイケナイところだ。

2012年9月 9日 (日)

花嫁の歌い方

花嫁が歌う歌い方、ではない。「花嫁」を歌う歌い方、である。

とある所で、「花嫁」のギター伴奏をすることになった。1971年、はしだのりひことクライマックスのヒット曲「花嫁」である。なるべく原曲に忠実に、ということで、キーもA、ギターイントロも忠実に。

この曲は、ボーカルの藤沢ミエで持っている。あの太く伸びやかなアルト。すごいよね。だから、同じ感じで歌うためには、いくつかポイントがある。

まず、鼻濁音はすべて硬濁音。つまり、「夜汽車」は「よぎしゃ」ではなく「よギしゃ」。「何が」は「なにが」ではなく「なにガ」。「野菊」は「のぎく」ではなく「のギく」。これだけでもかなり近づける。

そして、詰める音は詰めるのではなく重ねる。「乗って」は「のって」ではなく「のおおて」。「あっても」は「ああても」。これでかなりいい感じ。

さらに、伸ばす音も重ねる。「胸に」は「むーねに」ではなく「むうねに」。「詰めた」は「つーめた」ではなく「つうめた」。「燃えた」は「もーえた」ではなく「もおえた」。これでほぼ完璧。

ということで、該当部分をそれなりに書くと、このようになる。

「花嫁は、夜ギ車にのおおて」「あの人の、写真をむうねに」「帰れない、何ガああても」。「小さな、カバンに詰うめた」「故郷の、丘に咲いてた/野ギくの花束」「命かけて、もおえた」「何もかも、捨てた花嫁/夜ギ車にい、のおて」。拍手。

Aキー・フォークソングの定番のようなコード進行、サビ展開など、ほんとに不朽の名作。素晴らしい。

2012年9月 2日 (日)

やはり、閉会式は「イマジン」

予想通り、多彩な演出となったロンドン・オリンピック。開会式ではポールが何と「ヘイ・ジュード」を歌った。「世界を自分の肩で担ごうとするなよ」という歌は、集まったスーパー・アスリート達にはどう響いただろう。「ウイ・キャン・ワーク・イット・アウト」あたりかなと予想していたが、見事に外れた。ポールらしいと言えば、その通りだ。

そして、閉会式。ビートルズ・ナンバーでは、「ビコーズ」「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「アイ・アム・ザ・ウォルラス」などなど。ジョージの名曲「ヒア・カムズ・ザ・サン」も流れる。そして、4年前の北京から予想していたジョンの「イマジン」。「国なんてないって想ってごらん」「ぼくらの上にあるのは空だけだ」「いつか君も仲間になり/世界がひとつになるだろう」。国を背負って競い終えた仲間にはこれ以上の歌はない。

それにしても、ジミー・ペイジはどうしたのだ。そして、ポール・ロジャーズは。クイーンのブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと出てきて「ウィ・アー・ザ・チャンピオンズ」を歌う、という予想は残念ながら外れ。スパイス・ガールズは、北京のデビッド・ベッカムが伏線だったのか。ピンク・フロイドの「ウィシュ・ユー・ワー・ヒア」が現物で演じられるというのも凄まじく凄い。

最後はザ・フーの「マイ・ジェネレイション」。ピート・タウンゼンドが右腕をぐるぐるブン回してギターを弾く。ドラムスは、リンゴの息子のザック・スターキー、これで開会式・閉会式を通してちゃんとビートルズが揃う、という見事な演出だったようだ。

ようだ、というのは、どちらもまだ見ていないから。フルレンジで収録されているサイトはいくつか探してある。時間のあるときに見るつもり。しかし、ジェフ・ベックは何となく似合わないとしても、エリック・クラプトンには出て欲しかったなあ。

2012年7月22日 (日)

レクイエム、ジョン・ロード

ディープ・パープルのカッコよさは、一言でいうと「クラシカルな」ところにある。ほとんどのアメリカ系バンドには手の届かない領域だ。クリームではフェリックス・パパラルディが、レッド・ツェッペリンではジョン・ポール・ジョーンズが、それぞれクラシカルな実験や挑戦をしていたが、作品として当然のように様式美にまで高めていたのは、この世界では何と言ってもジョン・ロードだろう。

もちろん、EL&Pのキース・エマーソンもいるが、彼の場合はどちらかというとクラシック側にオリジナルがあって、そこからロックに殴り込みを掛けて来ているのに対し、ジョン・ロードはあくまでもロック側からクラシックを取り込もうとするアプローチに違いがあるような気がする。同じスタンスのリッチー・ブラックモアとのコンビは、単なるハードロックを超えた世界を魅せてくれていた。

楽器としてはピアノとハモンド、メロトロンぐらいしか無かった第一期、第二期あたりは、そのサウンドをよく「フィロソフィカル」と書かれていた。シンセサイザーが使われ始める第三期からは、かえってそういう特色も薄れてしまったような感じだ。

それにしても、ピアノを弾いてもオルガンを弾いても、ジョン・ロードはカッコよかった。タレひげで真面目そうな見た目はともかく、フレーズ自体や流れがとにかくカッコいい。素晴らしい、というのとちょっと違うカッコよさ。たぶんあれは、リーダーとしてバンドをまとめている立場での、ここ一番の決め場を心得ている構成力だろうと思う。安らかにお休みください。

2012年5月27日 (日)

ツェッペリンカレーとは

ロンドン・オリンピックに合わせて、ジミー・ペイジが秘蔵のレシピを公開。具にはカシミール産のジャガイモを使用、…というわけではない。

トマトに関する話題をたどっていて、とんでもないものに行き当たった。なんと、「ツェッペリンカレー」というものがあるのだ。息が止まりそうになった。茨城県土浦市の土浦商工会議所には、ご紹介のPageまである。

土浦ツェッペリンカレー物語:土浦商工会議所
http://tcci.jp/curry/index.html

1929年(昭和4年)、ツェッペリン伯爵号が世界一周の途中で土浦の飛行場に降り立った時に、乗組員にごちそうしたカレーを現代風に復活させたもの、ということである。そう言えば、今は亡きウチのじいちゃんが自転車で50キロ走って見に行った、という話を聞いたことがある。

来た飛行船の型式がこれまたなんと、LZ127。LZと言えば無条件反射でLed Zeppelinだが、ここではLuftschiff Zeppelin #127。飛行船ツェッペリン127号、というドイツ語だ。ちなみに、英語ではDirigeableである。AirShipというのは俗語らしい。しかしこの方向に行くと、AirPlaneからStarShipになって、「シスコはロックシティ」になってしまうので、今回は行かない。

土浦ツェッペリンカレーの包装箱は、金文字で飾られている。これがまた昔のドキドキを思い出させる。デビューアルバムが成功を収め、誰が見ても自信満々でリリースした次の「レッド・ツェッペリンII」。当時の30センチLPのジャケットは両側に開けた。つまり60センチ幅の「内ジャケ」という見開き面いっぱいに、下からライトアップされた金色の飛行船が描かれている。あの圧倒的な存在感は今でも忘れない。現物は震災でとりあえず片づけた荷物の奥の方に入っていて、おいそれと取り出せないのが残念だ。

レッドは、Lead(鉛)である。鉛のツェッペリンみたいにヘタっちまうよ、というスラングから来たらしいが、Lead Zeppelinと書くと、字だけではリード(指導とか)と読まれそうだというので、ジミー・ペイジがLedという単語を作った話は有名。

ということで、鉛の飛行船ツェッペリンカレーは茨城県のアンテナショップ「黄門マルシェ」の店舗・カフェラウンジでどうぞ。

銀座5丁目、茨城県のアンテナショップ「黄門MARCHE」
http://www.ibarakishop.com/

2011年9月11日 (日)

鎮魂と復興の「ラ」

 東日本大震災から半年。仙台市の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」で、震災当日と同じ午後2時46分から1分間、全45か所のステージで一斉に「ラ」の音が響いた。チューニングの音だと思えば何でもないが、実行委員会によれば「ラは寺院の大半の鐘の音と同じ高さの音」で、「一斉に鳴らし、震災に思いを寄せたい」とのことだ。

 素晴らしい。自分が出ていたらどうしただろう。シンセだったらチャーチオルガンにセットして、両手を広げて「ラ」の4オクターブを1分間押さえ続ける。これは鎮魂だ。ギターだったら、6弦5Aと5弦開放A、4弦7Aをまとめて1分間鳴らし続ける。これは諸行無常の感じ。それとも、3弦12Gから2弦10Aへのチョーキングだけで1分間泣きまくる。これは自虐的だ。となると、5弦12Aのハーモニクスを鐘になったつもりで1分間、というのが美しいかもしれない。

 気になることもある。45ものバンドで200人以上がいれば、「Aと言ったって、440とは限らないだろ」とか、「管のラは実音のGだけど、どっち吹くの」とか、いわゆる不協和音は出ないのかな。でもそんなことは、たぶんどうでもいいのだ。きっと何百もの単音が合わさって「ゴーーン」という1分間の長い鐘の音に聞こえたに違いない。この儀式は定着しそうな気がする。

2011年8月 6日 (土)

とうとう出て来た JUPITER-80

 そう言えばしばらく楽器屋さんにも行ってなかったし、その手のサイトを周ってもいなかったので、本当に知らなかった。楽器屋さんのフロアで、ギターからベースとまわって、キーボードのコーナーに寄り…。一瞬、なんだこりゃ。おぉ、JUPITER-80!

 JUNO-6がJUNO-Gで復活したので、アナログ・ポリシンセ時代の最高峰JUPITER-8を21世紀に甦らせるのはJUPITER-Hだろうと読んでいたが、残念ながら外れた。でも、そんなことはどうでもいい。

 あの頃、夢のまた夢だったシンセが装いも新たにいま目の前にある。JUPITER-8を知っている人には一目でそれとわかるスタイルとカラリング。素晴らしい。大卒初任給が12万だった時代に、JUPITER-8は100万くらいした。軽ワゴンでは運べないという伝説まで広まった。

 折りも折り、世の中は節電で、楽器屋さんも例外ではない。特にキーボードのコーナーはみんな電源オフのまま。このJUPITER-80さえも、ただそこに置かれているだけで、反応しない。かつては音の試食コーナーだったが、あたりは文字通り火の消えたような静けさで、何とも「いたたまれない」という感じになる。

 それにしても、JUPITER-80だ。カタログを読むと、SuperNATURALモデリング音源によるライブ・シンセという位置付けで、制作用ワークステーションFantomや究極音源V-Synthとは目指すものが違う。またひとつ夢の材料がふえた。

2011年4月16日 (土)

「ヒア・カムズ・ザ・サン」を歌おう

 書いてはあったが、なかなか書き込む気になれなくて、そのままだった。1秒の話で書いたばかりのセシウムの名前をこういう形で聞くとは思わなかった。こんな時だから、出来ることをしよう。電気を使わずにギターを弾こう。復興に向けた希望を込めて、「ヒア・カムズ・ザ・サン」を歌おう。ここから下が、震災前に書いてあったことだ。

 春が来る。よかった、やっと春が来ると思うと何となくうれしい。名前も知らない花が咲く。春の歌はいろいろあるが、一人で歌う、みんなで歌う、何がいいかなぁ…と思うと浮かぶのは「ヒア・カムズ・ザ・サン」だ。英語の歌詞は検索すればいくらでも出てくる。著作権もあるからここには書かない。
 ギターで弾くならオリジナルはAキーの7カポDポジだが、どうせカポなんだから歌いやすい場所に付ければいい。なければそのままDキーでもいい。
 メインリフの「太陽が来た/おひさまが顔を出した/もう大丈夫だ」。ここは、D-Gmaj7-E7。Gmaj7なんて難しそうだけど、1弦2フレットを押さえるだけだ。5弦6弦なんて弾かなければいい。
 そのあとのアクセントは、D読みのラドレ、ソドレ、ファドレ、ソドレ、ドシラソ。要領さえ掴めれば何てことない。
 「かわいい君よ」「長くて寒い寂しい冬だった」「何年もたったような気がする」「みんなに笑顔が戻ってきた」「氷がゆっくり融けてきたみたいだ」。ここは定番のD-G-A7。そのあとまたメインリフに戻る。
 コーラスはA読みのドミソで登って「サン、サン、サン、来てくれた」。ここはF-C-Gのアルペジオ、D-A7で締め。
 …というようなことは、実はどうでもいい。ジョージはこの時、本当に「太陽が来た/おひさまが顔を出した/もう大丈夫だ」と思ってこの曲を作ったのだろうか。ビートルズ末期の確執と葛藤のなかで、おそらくこの時、ジョージにはとても「太陽が来た」とは思えない状況だったに違いない。しかし誰も恨まず、泣き言も言わず、こんな夢・希望・期待そのものだけのような歌を作った。本当の気持ちでは、"Here Comes The Sun"の前には、"I hope,"が付いていたと思う。"It's all right."の前にも。
 ラストの「もう大丈夫だ」の繰り返しが素晴らしい。

2010年12月27日 (月)

時速90キロの神秘

日本の鉄道のレールは、JR・私鉄ほとんどで長さ25メートルである。もちろん、新幹線や意図的なロングレール区間は除く。列車に乗ってレールの繋ぎ目を通過すると、ガタンゴトンと音がする。定速走行区間では、どうしてもこれがリズム打ちに聞こえてしまう。

25メートルを1秒で通過する。60秒で1,500メートル、60分で90,000メートル。つまり時速90キロだ。ガタゴトン・ガタゴトンが規則的に1秒を刻むと、時速90キロ。これは郊外の電車ではありふれた速度である。1秒というのはだいたい身に付いているから、「息が合う」と時速90キロだ。

そして、もうこれなしにはギターは弾けないZoom PFX-9003。スイッチを入れると、最初にパルスカウントが120になる。1分間に120ビート、前後どちらかに乗れば60ビート。つまり、ぴったり1秒。やっぱり、ちゃんとそうなっている。

そもそも、1秒というのはどういう長さなのか。昔は太陽が地球を(本当は逆だが)1周するのを1日と決め、その24分の1を1時間と決め、その60分の1を1分と決め、そのまた60分の1を1秒と決めていた。しかしその間にも地球は回っているし進んでいるし、うるう年だってあるし…。

ということで、1967年の第13回国際度量衡総会で、「1秒は、セシウム133の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍の継続時間である」と定義されている。つまり、絶対に変わらない長さを使って再定義したということだ。そういうものだと思うしかないが、人間にとっては1日の長さから細かくしていった最少単位というほうが、たぶん馴染みやすいはずだろう。時報の秒間隔、お風呂で数を数えるとき、などなど…

夏冬で伸び縮みするレールの間の隙間を通過する時の音が、絶対に変わらない長さの基準を元に数えられ、音楽につながっていくのがどうにも不思議だ。ぼーっと電車に乗っていても、90キロ区間は何となく楽しい。「サンシャイン・ラブ」も「レイラ」も、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」も、みんな時速90キロなのだ。

2010年11月21日 (日)

EとCのレイラ

 今や知る人ぞ知る(知らない人はどうせ知らない)20世紀の名曲「いとしのレイラ」。クリーム解散後、結局は「ジャック・ブルース抜きのクリーム」にスティーブ・ウィンウッドを加えたようなブラインド・フェイスが、これまたスーパー・ジャイアンツすぎて崩壊。疲れ果ててアメリカ、それも南部に渡ったクラプトンが現地のメンバーに恵まれて結成したのが、デレク&ザ・ドミノスだ。

 堅実なベースラインのカール・レイドル、乾いた音と巧みなフィルインのジム・ゴードン、どうみても遠慮がちなボビー・ウィトロック。アルバムのライナーノーツには、故デュアン・オールマンまでメンバーとして記載されていた。「レイラ」の前半終盤でクラプトンの遥か上空を舞う彼のスライドは超絶品。

 ところが、そもそもクラプトンの方をコピーしようとしても簡単には行かない。まずあの有名なイントロ。5弦の開放Aと3C、4弦の開放Dと3Fをそれぞれハンマリング・プリングオフでつなぐ幾何学的な長方形フレーズ。終わり方からしてDmキーだとわかる。バックはDm-C-B♭と、ルート+5度の重音で降りてきて、5弦1B♭をプリングオフ、6弦5Aや3Gを経由して5フレットポジションのDmに戻る。ここは全くオーソドックス、クリーム時代にも何曲かこういう形はある。加山雄三もステージでよく自分の「夜空の星」のツナギめにウケ狙いで「レイラ」のメインフレーズを挟んで弾くが、それもどちらもDmだから違和感なく出来ること。

 問題は次だ。「さびしい時は何してるんだい?/誰もそばにいてくれなくて」ここは何とC♯m7から始まる。ウソ! Dmキーのメインフレーズからいきなり転調して、しかもたった半音下に行くなんて。さらにG♯m7に一旦引いてから、C♯m7に続いてなんとC-D-E。C♯は居場所がない。構成音にすら入っていない。このパターンはまるでEキーのエンディングだ。その後は一気に、F♯m-B、E-Aとお馴染みの展開でまた「レイラ!」のメインフレーズDmに自然に戻る。一体どうやって作ったんだろう。メロディだけ先に出来て、コードは後から組み立てたに違いない。

 じつは、メインフレーズのバリエーションのような2オクターブ上のテーマフレーズに、その後の謎を解く鍵が潜んでいる。2弦10Aと13C、1弦10Dと13Fを長方形にハンマリングしてプリングオフするのは全く同じだが、魂の叫びのようなチョーキングの後に、メインフレーズには出てこなかったE音が1弦12フレットで出てくる。これが伏線中の伏線。これがまるで全く別々の曲のようなレイラ前半とレイラ後半を見事につないで行くのだ。(もっとも実際には最初から別々の曲だったようで、拾われた立場のボビーがスタジオの空き時間に自分の為の曲を作っていてクラプトンに見つかり、それいいじゃないかと後半に採用されたらしい)

 つまりレイラ前半の終盤は、Dm-B♭-Cをバックに高低2つのDm長方形フレーズが曲のフレームをがっちり固めて、延々とギタリストの共演が続くのだが、最後に後半に向けてスローダウンしてデュアンが降りて行く行く途中の最後の最後に1弦12Eから8C(2弦13Cかも知れない)が出てくる。もっと言うと、Cへ行くためにEが出てくる。「ド」へ行くために今まで出て来なかった「ミ」が出てくる。ボビーがピアノに両手を降ろす直前、この時点で曲はCキーになっているのだ。曲のクレジットは無慈悲にも「クラプトン&ゴードン」になっているが、ボビー・ウィトロックの名曲「レイラ後半」は、ほとんど白鍵のハ長調ナンバーである。

 ピアノなどの鍵盤楽器があればすぐわかる。右手をドミソに置く。左手を下のドでオクターブに広げる。レイラ後半出だしの感じで和音を弾き、右手をそのまま、左手を2鍵上げてミのオクターブにすれば、「レイラ」後半の最初が弾ける。ギターなら普通にCでダーンダーンダと弾いて、次にその握りのまま6弦開放のEもドーンドーンドと強調すれば同じ感じになる。つまり、C-C/Eで始まるのだ。あとはFへ行ってB♭に降りる。これは後半ずっと同じ。これほどまでに、この曲のEとCは重要だ。

 デュアン・オールマンの技はとんでもなく別世界だが、いつかステージでイントロの低い方、高い方を続けて弾いて、コードを弾きながら渋い声で「レイラ!」と叫び、ギタリストどうしのバトルを経てから静かにギターを降ろし、そのまま歩いてピアノの前に座って後半を弾く、というのが夢で見た夢。

2010年9月26日 (日)

ピンク・フロイド、ライブ・アット・ポンペイ

 やはり、ちゃんとあった。ピンク・フロイド、ライブ・アット・ポンペイ。1971年10月、イタリア・ポンペイ遺跡での観客聴衆なしの野外ライブ。遠い昔、NHKのヤング・ミュージック・ショウで見たもの、そのままだ。彼らにとっては「おせっかい」の後、「狂気」の前の時期で、当時すでにロックバンドという範疇をはるかに超えていた。
http://video.google.com/videoplay?docid=-2414384259871561532#

 「エコーズ 前半」「ユージン、斧に気をつけろ」「神秘」「吹けよ風、呼べよ嵐」「太陽讃歌」と素晴らしい演奏が続き、最後に「エコーズ 後半」で1時間の長い幻想の旅が終わって現実に引き戻される。
 シンセサイザーもメロトロンもなく、ギターとベース、キーボードとドラムスという4人編成で、ここまで表現力のある音楽が作れるというのに驚かされたものだ。デイブ・ギルモアのギターは巷のロックンロールとは全く別の次元、別の世界である。
 大作「エコーズ」に、歌詞から近づこう。「見知らぬどうしが道ですれ違い/目と目が合う」「私はあなただ/私が見ているのは私だ」「あなたの手を取って/案内してまわれるだろうか」「私にできる最高のことを理解したい」「誰も私に子守唄を歌ってくれない/誰も私の目を閉じさせない」「だから私は窓を開き放ち/空の彼方のあなたに呼びかける」。最後のあなたは、つまり私か。自分の中の自分という、「狂気」のテーマへつながっていく曲だ。
 スタジオの中で飛び跳ねたり走り回る奴はいないが、ライブでも落ち着いて淡々と凄まじいことをやるという意味で、デイブ・ギルモアも極めてエリック・クラプトン的である。

2010年9月 5日 (日)

ロイヤル・アルバート・ホール、1968年11月26日

 AIR-EDGEカードAX520Nが壊れてしまった。外装が変形して浮き、パソコンのPCカードスロットに差さらない。遠い昔のAir-H"カードMC-P300とまったく同じ最期だ。販売店をふたつハシゴして、結局イーモバイルのD25HWにした。エアエッジはDDIポケットの頃から10年近く使ったが、仕方がない。
 ところがこのPocket WiFiの素晴らしいこと。下り公称7MBというのは最高速としても、たとえその半分以下でも公称256KBだったAX520Nからすれば夢のような速度。
 じつは今まで諦めていたことがあった。動画を検索して、ストリーミングで見るというもの。YouTubeの話題などには加わらないようにしていた。そもそもモバイル環境しかないからだ。
 もうそれができる。探してみよう。キーワードは、[cream farewell]。あった! しかも、48分。これはあのNHKの番組そのものではないか。
http://video.google.com/videoplay?docid=-1234774495201515114#

 素晴らしい。ほとんど記憶の通りそのまま。ジャック・ブルース27才、エリック・クラプトン25才、ジンジャー・ベイカー30才。クラプトンは「ホワイト・ルーム」をギブソン・ファイアバードで弾いていたのも発見。
 それにしても、クリーム最高のパフォーマンスというか、3人それぞれの極限のプレイでありながら、全体のアンサンブルが成り立っているのはまさに奇跡。クラプトンは落ち着いて自信有りげに意味のあるフレーズをつなげて行くし、「スプーンフル」では3人とも全体をよく見聞きしながら火花を散らして戦っているし、「いやな奴」でのジンジャー・ベイカーのドラムソロは本当に息を呑む凄まじさ。
 いつかもう一度見たいと思っていたものを、見ることができた。アイム・ソー・グラッド。

2010年8月29日 (日)

雨を見たことがあるかい?

 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの6枚目「ペンデュラム」の中のヒット曲。シャウター・ジョン・フォガティの歌う Have you ever seen the rain? は、中学校の英語の例文そのまま。
 しかし、この「雨を見たかい?」という東芝EMIの邦題は如何なものか。作詞作曲のジョン・フォガティは「雨を見た」という過去の一時点を聞いているのではなく、「自分は雨を見たことがある」という、言わば過去に起きたことによるその後の現在の状況を聞いているという意味で、まさしく英語の現在完了形そのものである。
 よく聞けば、或いはよく読めばわかる。「誰かが昔言ってた/嵐の前は静かになる/たまにはそうなるもんさ」「そのあと話になる/晴れた日でも/滝のように雨は降るよ」「知りたいんだ/雨を見たことがあるかい?/晴れた日に降ってくるのを」
 もちろん、ただ天気の話をしているわけではない。晴れた日が何で、雨が何かはわからないが。CCRにしては珍しく重いピアノ・フレーズで締められているのも、それなりである。

2010年8月 9日 (月)

オーケストラで迫る「タルカス」

 新聞休刊日だったのでニュースが気になり、時間のある時に朝日新聞のサイトを見ていって、とんでもない記事にぶつかった。「オケで迫る『タルカス』、吉松隆、プログレの名曲を編曲」

 エマーソン・レイク&パーマーの組曲「タルカス」に、「作曲家の吉松隆がオーケストラの豊かな響きで迫った」とのこと。「プログレの人しか知らない名曲や、クラシックの人が独占している名曲が多すぎる。なんてもったいない」…ぉぉぉ、そのとおり。

 「吉松が編曲した『タルカス』は3月、藤岡幸夫率いる東京フィルハーモニー交響楽団が初演。このライブ録音を含むCDも先月発売された」とか。まったく知らなかった。もっと自分にできることはないのか。

 EL&Pは、とにかくポテンシャルのボルテージが高くて、火花の散っているような曲ばかり。キース・エマーソンの神業的なキーボード、グレッグ・レイクの冷静なベースラインと神秘的なボーカル、曲の構成に忠実なカール・パーマーのドラミング。特にこの「タルカス」なんかはそうだ。

 ちなみに、想像上の怪物である「タルカス」の名前は、デイヴ・ブルーベックの「ブルーロンド・ア・ラ・ターク(Blue Ronde a la Turk)」から来ていたと、自分では勝手に思っている。この「ブルーロンド~」は、日本のテレビCMなどでも有名な5/4拍子の名曲「テイク・ファイブ」が収められているブルーベックのアルバム「タイム・アウト」に一緒に入っている、これまたとんでもない名曲である。(日本では当時のCBSソニーが「トルコ風ブルーロンド」という邦題にしてしまったので、何か怪しげな曲に思われたフシもある…)

 そして、もちろん聞く人が聞けばわかるが、当時ザ・ナイスのキース・エマーソンは、この名曲を強引にジャズの世界から引き剥がし、ロックビートの円舞曲「ロンド'69」に仕立ててしまう。「タルカス」は、間違いなくこの延長線上にあった。

 時代背景から言えば当時はシンセサイザーの創成期で、MOOGも「モーグ」と書かれていた頃。オシレータ音源のアナログ・モノシンセの時代で、キースもコードを埋めるにはハモンドオルガンを併用していた。ライブアルバム「展覧会の絵」はその証拠である。サンプリング音源のデジタル・ポリシンセが出てくる前の、涙なしには語れない過去だ。

 ちなみに、この「タルカス」をターゲットにして、当時の日本のロックシーンを率いていた一人である成毛滋が同時代に作ったのが「フライド・エッグ・マシーン」に収められている「オケカス」である。ベースは高中正義、ドラムスは つのだひろ。これまたすばらしい作品で、今聴くと曲名からもパロディだと思われかねないが、当時これは間違いなく世界への挑戦の領域だった。紹介した「オケで迫る『タルカス』」という記事は、たぶんそこまでわかって書いているタイトルだと思う。

 昔はよかったなぁなどと言うつもりはない。ただ、評価されて残るものは残るのだということを、ずっと言っておきたい。

2010年3月21日 (日)

春が来た、ヒア・カムズ・ザ・サン

Here Comes The Sun を、何と訳せばいいのか、ずっと考えてきた。これは難しい。「太陽が来た」「お日さまが顔を出した」「陽が差してきた」そのほか、あれこれ。でも、どれもしっくりこない。
 つまり、これは「春が来た」なのではないか。「可愛い君よ/長くて寒い、寂しい冬だった/何年も経ったような気がする」「みんなの笑顔が戻ってきた」「氷がゆっくり融けてきたみたいだ」「春が来た/もう大丈夫だ」
 もちろん、当時の背景はいくらでも考えられる。Let It Be でただ分解してお終りになりそうだったところを、最後の奇跡のような Abbey Road で締め括る。「シュッ!」で始まる Come Together から She's so Heavy で重く暗めに終わり、B面に行った最初がこれだ。
 Aキーだけど、7カポのDキーで弾くからそもそも開放系の音が高いとか、後から被さってくるキーボードの音が揺れてるとか、同じようなアルペジオ展開が同時期のクリームのラストアルバム GoodBye Cream の中の Badge で出てくるとか、いろいろあるけどそんなことはもうどうでもいい。
 ジョージが中心になったその後のバングラデッシュ救済支援コンサートでは、バッドフィンガーのピート・ハムと二人並んで聞かせてくれた。そういえば映画も見た。
春が来た。もう大丈夫だ。

2009年12月 6日 (日)

その場で借りた楽器はなぜ挽き肉か

 もちろん、題名は「~なぜ弾きにくいか」である。
 ごくまれに、こちらの素性をご存知のかたから、ちょっと弾いてみてとお持ちのギターを出されることがある。ありがたいことではあるが、これがほとんどの場合、弾きにくい。同じ感覚をお持ちの同業者さんも多いはずだ。
 ギターがわるいのではない。すごく高そうな、いいギターのことも多いのだ。でも、いきなり弾いてもしっくりこないから、ちょっとと言われる間のうちには、うまくいかない。
 そういうものだとずっと思っていたが、でも改めてなぜだろうと考えてみた。これは楽器の種類によるのではないか。例えばギターなら、弦のゲージが自分のものと同じことはほとんどないから、張りの強さは違う。ネックの厚みや幅が違えば左手はオロオロするだけだ。ボディの形が違えばブリッジの位置も変わるし、厚みが違えば自分と弦の距離が変わる。そもそも重さが違えば抱えるバランスも違う。だから、いつもフェンダーのストラトを弾いている感覚では、同じギターだからと言ってモーリスのフォークは思ったようには弾けない。いつもと違う自転車に乗った瞬間に感じる違和感のようなものではないか。
 でも、楽器の種類による、というのはつまり、弦楽器はたぶんみんなそうだし、管楽器なんかは尚更そうだろうと思うけど、鍵盤はそうでもないんじゃないかと思うからだ。事実、楽器屋さんで壁に下がっているギターはみんな微妙に違うと思っているから別に弾かせてもらう気にならないけど、シンセなんかのキーボード類は、ほとんど同じ感覚で弾けて音が全然違うという世界に思える。違うとすれば、叩くピアノ系と、押さえるオルガン系の違いぐらいか。でもそれを言い出すと、キータッチはみんな違うけど。
 ジャズ・ピアニストの山下洋輔さんは、オレはピアノそのものには別に愛着はない、というようなことをどこかで書いていた。弦楽器やサンや、管楽器やサンが自分の楽器を大事にして一心同体という感じで演奏するのに比べ、ピアノやサンは行った先でコレですと言われたピアノを弾くしかないからだということだ。わかる。

2009年10月24日 (土)

ひとりぼっちのあいつのコーラス

 ひとりぼっちのあいつによるコーラスではない。「ひとりぼっちのあいつ」(NOWHERE MAN)の、素晴らしいコーラスのことだ。
 ビートルズで好きな曲を10曲、というのは古今東西よくある話題で十人十色、かなり難しい選択になると思うが、個人的には間違いなく入るのがこれ。

 楽器のイントロ無しでいきなり始まるコーラス、それもまるでちゃんと和声理論を勉強したかのような見事な三重唱。ほんとにこんなことが出来るなんて、うらやましい。
 ところが曲としては全然難しい作りではない。典型的なスリーコードにちょっとおまけが付いている程度。それでこんな曲ができるのだからまったく信じられない。ジョンにはもっとたくさん曲を作ってほしかった。

 丁寧にコードを分解して低い方に弾き降ろしてくるジョージのギターソロは「微笑ましい」という感じすらする。最後に6弦開放Eから1弦12フレットのハーモニクスで4オクターブ上のEを出して締めるところなんか、ギタリストにはたまらない発想。

 歌詞がまた素晴らしい。「本当にひとりぼっちのあいつ/自分だけの場所に座って/誰のためでもないことを考えて」「これといった見通しもなく/どこへ行くかもわからずに/まるでぼくらみたいだ」「でも聞いてくれ/気が付かないかい/世界はきみを待っている」… 歌詞を書いたのもジョンだけど、今思えばこれはまるで沌珍館企画のテーマソングみたいだ。

2009年5月 2日 (土)

千鳥橋渋滞 GOOD-BY,MY GOOD DAYS

高校生のころ、日本のビートルズという前評判と綺麗なレコードジャケットにつられて、チューリップのデビューアルバム「魔法の黄色い靴」を買った。

30センチLPのアルバムにはポスターと大きな壁新聞みたいなのが挟んであって、メンバー自筆の紹介文や、なんと石川鷹彦、つのだひろ、加藤和彦、星加ルミ子などなど、当時のすごいお歴々がコメントを寄せている。曲も音作りも確かにそれまでにない新しい存在を感じたが、それでもなんとなく財津和夫のボーカルは常に演出が入っていて、聴く側からすれば少しだけ距離を感じたものだ。

そんな中でただ一曲、なんとも言いようのない世界に出会ったような気になったのが、「千鳥橋渋滞」。

クレジットでは(作詞・安部俊幸 作曲・姫野達也)になっているが、明らかに姫野がピアノではなくギターで作った曲だ。こういう発想はギターでしかできないと思う。ボーカルも姫野。

「骨の折れた傘さして/水たまりをよけながら」ここはEからF#mへの上り。「あれは馬鹿げた夢/あれは淋しいうそ」ここはAからG#mとF#mへの下り。そして、最後までこの繰り返し。B7は出てこない。

さらに、ここは自己解釈なんだけど、6弦Eと、2弦B、1弦Eはずっと開放。つまり、セーハしない。コードパターンで押さえるのは5弦から3弦までの3本だけ。まるでオープンチューニングみたいな響きがさわやかに遠くまで続く。だから逆に、この曲はEキーでしか弾けないはずだ。

もちろん、安部と姫野がそう弾いているかどうかはわからない。でも、自分で弾くならそうする。そのほうがこの曲の良さが生きると思う。バンドの時はベースにルートを支えてもらえばいい。ソロだったら、6弦は親指で行くか、やっぱり開放のままか、気分しだいだね。Eが下でずっと鳴っていても、別に違和感ないし。

それにしても、最後の「髪を切ってしまおう」がせつない。あの頃、自分にとっても髪を伸ばすことは音楽をやっているという自己表現だった。

アルバムにも、レコードにも、「千鳥橋渋滞」の文字はない。Side Oneの3曲目は「GOOD-BY,MY GOOD DAYS」。確かに、これは、わかる。

オリジナルでは後の方でコーラびん吹きまで入って(これはコーラスというしゃれらしいが)、これまた何とも言いようがない。他の曲とはまったくスケールの違う曲作りで、いまだに忘れられない、弾き続けていられる名曲。2、3曲しかチューリップを知らない人にはぜひお勧め。

2008年12月30日 (火)

歌い継がれる「翼をください」

 いまやほとんどの音楽の教科書に載っている「翼をください」。1971年発表ということだが、当時のツェッペリン・パープル少年は「赤い鳥」のこの曲を聞いて背中が震えるほど感動したのを覚えている。たぶんそれはほとんどの人にも多かれ少なかれ共通していて、それがこの曲を世代を超えて歌い継がせているのだろう。
 ソロでも合唱でも、ギターでもピアノでもオーケストラでも、いろんなスタイルで歌える弾けるというのは、ビートルズの曲を引き合いに出すまでもなく、それだけで名曲の証明でもある。
 自分の思いを素直に表した歌詞がまた素晴らしい。聞いて意味のわからないひとはいないだろう。
 実際は歌い易いキーに移調されて歌われ弾かれているのでいろんな譜面があるが、Cキーで言えば「かなうならば」で出てくるD(major)がポイント中のポイント。Aメロ部分の起承転結の「転」がここだ。C展開ですんなり行かずに、ちゃんとここで折れているのが素晴らしい。そしてBメロ直前の「付けてください」のGsus4は山場、とことん思いを込めていこう。
 よいお年をお迎えください。

2008年9月23日 (火)

風の音、リック・ライト

 こういう音楽表現があるのか、と戸惑いを越えて感激し、打ちのめされたピンク・フロイドの「エコーズ」。サウンドのカナメはリック・ライトのオルガンと、デイヴ・ギルモアのギターだった。プログレッシヴというジャンルができつつあったころだ。

 その中でも、リック・ライトのオルガンは、誰にも似ていなかった。キース・エマーソンとも違う、リック・ウェイクマンとも違う、ましてやジョン・ロードあたりとはまったく違う感じで、まるでそれぞれの曲全体の空気のような存在だったように思う。

 「神秘」「原子心母」「おせっかい」「狂気」「炎」とアルバムをあげればきりがないが、リック・ライトの音を説明するのに一番いいのは "One Of These Days"だろう。そのサウンドから「吹けよ風、呼べよ嵐」という邦題のほうが有名だが、この曲に限らず、リック・ライトのオルガンにはいつも風の音を感じる。実際に聞こえてなくても、感じる。

 ライヴ・アット・ポンペイをテレビで見た時には、ただただ呆気にとられてほとんど放心状態だったような遠い昔の記憶がある。もう一度ステージを、という夢はかなわなくなってしまった。ご冥福をお祈りしたい。

2008年8月25日 (月)

北京オリンピック閉会式にジミー・ペイジ登場

 次回開催地イギリス・ロンドンを代表してデビッド・ベッカムと一緒に出てくるとは聞いていたが、出てくれば絵になるベッカムとは違い、きっと何か弾くはずだ、自分の仕事をするハズだと思っていた。すると、あのレオナ・ルイスに続いてやや地味めにトレードマークのレスポール・サンバーストで登場。「遠い国からやって来た…」の「移民の歌」かと思いきや、なんと! ガーンとハードに「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」。
 実況では「ギター少年なら一度は必ず弾いた曲」とまで紹介されるが、口をへし曲げて弾くあの表情も昔と変わらず、派手なピック・グリッサンドも相変わらずで、ブレイクのソロもほとんどオリジナルそのまま、40年の時間差を感じない。素晴らしい。レオナ・ルイスのボーカルもまったく違和感がない。相当リハったんだろうね。
 それにしても、何とも効果的なものなるや。この場に於いてこれ以上の選曲があるだろうか、いや、ない。知る人ぞ知る、という価値も確かにあるが、6弦開放を存分に鳴らしたEのワンキーで最後まで押し切るイベント向けの一発ハッタリ系の名曲なのだ。なにしろ、Eキーなのに最後までAもB7も出てこない。
 オリジナルではエンディングにかけてメインフレーズでEsus4からの戻りのようなA♭を使ったメジャー系バリエーションが出てくるのだが、ライブのテレビではさすがにそこまでは判らなかった。もっと手元を映してくれぃ。
 どうやらイギリスはこの路線で行くらしい。ということは、4年後ロンドンの閉会式は各国選手団と観客総勢での「イマジン」大合唱となるに違いない。

2008年2月24日 (日)

バッハのプレリュード第一番です

 あ、これこれ。今まで何度か聞いているのに名前が判らなかった。よかった、あとで聞いてみよう。
 とある結婚式披露宴で、偶然ピアノのお姉さんのすぐそばの席になった。見るとローランドのRD-700ではないか。はぁ、と溜め息。会場設備だから、まぁそうだよなと納得する。いいなぁ。
 司会のお姉さんが「お二人のプロフィール」を紹介します、と言ったときに聞こえてきたのが、このドミソドミソドミのメロディ。あ、これこれ、これだよ、これなに。
 披露宴の合間に、勇気を出してピアノのお姉さんに聞いてみる。「すみません。あの、司会の方がお二人のプロフィールを紹介していた時の曲は何ですか」
 お姉さんは、にっこり笑ってタイトルのように答えてくれました。そうですか、ありがとうございます。すぐにメモしました。いやぁ、よかった。
 さっそく楽譜を買ってきました。うれしいことにハ長調。とりあえず最初の8小節までなんとか弾けるようになりました。あとは気長にやりましょう。しかしバッハって、ほんと数学的というか幾何学的というか、この曲なんかは特にそんな感じがしますね。歴史に感謝です。

2008年2月17日 (日)

『大人のための3日間楽器演奏入門』

 ふとした偶然から、本屋さんで『大人のための3日間楽器演奏入門』(きりばやしひろき著/講談社+α新書)という本を発見。副題は「誰でもバンド演奏できるプロの裏ワザ」。
 なんだこりゃと思ったが、これがまた実に素晴らしい。日本図書館協会・第2540回選定図書に選ばれたというような表向きの評価だけでなく、楽器をやってみたいが自信がない、思い切って始めたが挫折した等々で諦めている人に贈る「でもやっぱりやってみませんか」というお助け本である。
 詳しい内容は敢えて書かないが、著者の経験を基に多くの人がつまづきやすいポイント、陥りやすい考え方などがひとつひとつ解き解すように説明され、うんうんそうだよなと納得しながら読んでいける。最後には、これならなんとか出来そうだ、よし自分もやってみようか、と思うようになるはずである。
 実際に「楽器挫折者救済合宿」というのも毎月開催されており、その様子も紹介されている。最初は自分自身との闘いのつもりで参加した人達が、お互いに相手の努力を尊重していきながら、最後にはバンドとしてのアンサンブルに尽くしていくようになる辺りは経験的にも多分そのとおりで、何とも感動的である。
 楽器と関わることによって得られるもの、無縁でいる限りいつまでも手に入らないもの、それによって変わる人生の考え方、価値観。この本はそんな話題で締めくくられているが、「世界中のすべての人々が楽器を…」というくだりでジョン・レノンの「イマジン」を思い浮かべた読者は多いだろう。ほんの少しの勇気で始められる新しい人生、と言ったら大袈裟だが、しかし言い過ぎでもないなと思わせてくれる良い本だ。

2007年12月24日 (月)

空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ

 森園勝敏(g,vo)、岡井大二(ds)、中村真一(b)の高校生3人が「三人」と名乗って始めたバンドに、坂下秀美(kb)が加わって「四人」だと面白くないから「四人囃子」にした、という話は有名だ。
 74年のデビューアルバム「一触即発」は日本のロック史に残る名盤のひとつ。見るからにデイヴ・ギルモア・ファンの森園をはじめ、メンバーそれぞれが演奏もアレンジも非常に高いレベルでバンドとしてもまとまっている。ピンク・フロイドだけでなく、エマーソン・レイク&パーマーやキング・クリムゾン、サンタナなどをかなり研究した跡がうかがえた。タイトル曲「一触即発」のオープニングとエンディングで聞ける胸のすくようなギターは素晴らしいの一言。
 その後、ベースが佐久間正英に替わり、茂木由多加(kb)が加わって一時期5人だった頃の作品が、この「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」。一発ヒット狙いのシングルのようだが、変拍子を入れた巧みな構成と綺麗な音作りでこれまた歴史に残る佳曲であります。「星も出ていない夜に/弟と手をつないで/丘の上に立っていると/音もなく静かに」…
 何かと家を背負わなければならない長男にとっては、自分のやりたいことが出来る弟が羨ましかったなぁ。この曲には何となくそんな想いを感じる。「映画に出たことのない人は/乗せてあげられないって/円盤はすまなそうに/そう言ったよ/でも弟は一度だけ映画に/出たことがあるのさ」「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ/空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ/いつか映画で見たように/あとはすすきが揺れるだけ」

2007年12月21日 (金)

UFO「現象」

 UFO(Unidentified Flying Object)が飛来したら自衛隊は出動できるのか、等々のヘンテコリンな議論が国政レベルでなされている。唐突に始まった話題というのは何だか怪しい。もしかするとそれなりの機関が、本当に来つつある兆候を検知したということなのかもしれない。
 それはそれで気になることだが、この話では何となく過去の事件を思い出す。1976年9月6日、ソビエト極東空軍のビクトル・イワノビッチ・ベレンコ中尉が当時西側からマッハ3と怖れられた最新鋭のフォックスバット・ミグ25で函館空港に強行着陸し、アメリカへの亡命を表明した。実際にその場にいた辻仁成はその時の様子を初期の作品「クラウディ」に書いている。
 ところが当時の実際の対応はお粗末だった。いきなり外国の戦闘機が民間空港に着陸してきたので、やれ管轄は外国からだから外務省だ、戦闘機だから防衛庁だ、国土だから自治省だ、空港だから運輸省だ、武装しているから警察だ、北海道だから道庁だ、函館だから市役所だ等々でさんざん紛糾したことが報じられた。さもありなん。
 でもUFOと言われて一番身近なのは、当初のシコルスキー型フライング・ソーサー未確認飛行物体よりも、名優エド・ビショップ主演、吹替え広川太一郎のストレイカー司令官、イギリスBBCのTV番組「謎の円盤UFO」よりも、ピンク・レディーのヒット曲「UFO」よりも、日清焼きそば「UFO」よりも、ハードロックグループ、UFOですね。
 ミック・ボルトン(g)、ピート・ウェイ(b)、アンディ・パーカー(ds)、フィル・モッグ(Vo)の4人で始まり、ミック・ボルトンの失踪でなんとあのマイケル・シェンカーをスコーピオンズから引き抜く。しかしそのマイケルも結局馴染めずに飛び出して自分のグループを結成、その後はメンバー交替いろいろ、という波乱のストーリーでありまする。
 そのマイケル・シェンカーを世に知らしめたのが、アルバム「現象」。Phenomenonという単語もこの時知った。ジャケットもいい感じで良かったが、なによりもギターワークがすごい。左のフィンガリングも右のピッキングもこんなにはっきりと、かつ凄まじいのは文句なく素晴らしい。A面最後の「ロック・ボトム」を聞き終わると必ず「はぁ」と溜め息が出たものだ。
 そのUFOの現在のドラムスがジェイソン・ボーナム。というわけで、話は強引にツェッペリン再結成コンサートにつながるのであった。ちゃんちゃん。

2007年12月14日 (金)

最初に聞いたのは移民の歌

 再結成コンサートの話など知らないころから何となくツェッペリンの話を書いてきたが、遠い昔にラジオで最初に聞いたのはロバート・プラントの雄叫びから始まる「移民の歌」。「レッド・ツェッペリン」という名前は「イエロー・サブマリン」と何か関係があるのかと思っていたころだ。音楽雑誌には新作「ツェッペリンIII」が期待外れと酷評されていた。
 その後、友達が「ツェッペリンII」をテープで聞かせてくれたが、最初の「胸いっぱいの愛を」から何か怖ろしい感じで、ビートルズやサイモン&ガーファンクルを聞いていた中学生にはまるで別の世界のようだった。しかし、あの大掛かりなメインフレーズで曲を作るハードロック・スタイルに次第に惹かれるようになっていく。
 順序が大事だろうと最初に買ったアルバムは「ツェッペリンI」。LPに針を落とす。数秒待つ。ダ・ダン!「グッドタイムズ・バッドタイムズ」、一瞬でツェッペリンと判るサウンド。あの時、なぜか懐かしさを感じたのを不思議に覚えている。なぜだろうね。
 一番好きな曲をあげて下さい、というのは無理だ。みんな好きだからとても選べないよ。

2007年12月 6日 (木)

ブラック・ドッグの12拍

 イギリスでのツェッペリン再結成コンサートが近づくにつれ、業務用のメールマガジンまでが「レッド・ツェッペリン再結成の経済的効果」などという題名で配信されて来て、会社の席でおろおろすることが多くなった。まったく、なんという時代だ。(^-^)//
 歴史に残る武道館での日本公演は、ちょうど「レッド・ツェッペリンIV」の発表前だった。日本のファンは未発表の「ブラック・ドッグ」を初めて聞いた。当然ながらギター、ベースのメインフレーズ4拍3小節を、ドラムスが3拍4小節で叩いて12拍めで合わせる、などという芸当は誰もその場では理解できなかったようだ。様子を伝えた翌月の「ミュージック・ライフ」誌は「新曲でまだメンバーの息が合わず、どこかちぐはぐな演奏だった」と書いた。読んだ時にはまさかと思ったが、今となっては懐かしい思い出だ。
 ギブソンSGダブルネックというギターがあるのも、この時はじめて知った。あれはまるでジミー・ペイジ専用モデルみたいで、その後、他の誰かが弾いても様にならない。というよりも、絵にならない。一度、お茶の水の楽器屋さんでグレコを弾かせてもらったが、とにかく重かった。田舎の楽器屋さんには絶対にないから、そう言えばあの時に記念写真を撮っておけばよかったね。(^-^)//
 それより何より、最近どこかで読んだんだけど「ブラック・ドッグ」のメインフレーズがジョン・ポール・ジョーンズの提案だったのいうのが何とも驚き。ホントかよ、おい。確かに、4人ともきっちり存在感大きかったもんなぁ、という感じだよね。鉛の飛行船、ボンゾに合掌。

2007年11月25日 (日)

モビー・ディック

 チューニングの話をして、ツェッペリンの話をしたら、この話をしなければ収まらない。名盤「レッド・ツェッペリンII」の中の「モビー・ディック」。
 ジミー・ペイジは、この曲用にギター・チューニングを全弦で2フレット分下げ、Dチューニングにして弾いている。たぶん、狙いは「普通のギターよりも低いルート音」と「オブリガート・フレーズでの派手なチョーキング」。
 もちろん、実際それは狙い通りに実現されていて、それなりに一味違う大迫力サウンドを表現している。素晴らしい。別にギターやベースが、いわゆるEルートのミラレソシミ・チューニングでなければならないという決まりはない。たぶんステージでは用意していた別のギターに持ち替えて弾いていたに違いない。
 しかし、不思議なのはドラムソロだ。どうしてボンゾは自分の見せ場になるはずのこの曲を、例えばそれまでの「幻惑されて」のような信じがたいフルパワーではなく、ましてやスティックも使わずにトコトコ・トコトコと素手で叩いたのだろうか。今から調べればそれなりの解説はどこかにあるのだろうが、当時のファンはアルバムの音からしか判らなかったのだから、あの時点で世界に何を伝えようとしたのかは今となっては謎だ。だが、こういうのは謎のままにしておきたい気がする。

2007年11月11日 (日)

ほんの僅かな違いだけど

 ストラトキャスターとレスポールでは弦長が違う。ストラトは25.5インチ、レスポールは24.75インチ。この僅かな2センチ足らずの違いが、同じ008ウルトラライトを張ってもキツさの違いになる。
 しばらくストラトだけ弾いていたが、このまえチョーキングで3弦をぶっち切ってしまい、予備弦の買い置きがなかったので久々にレスポールを出してみた。
 チューニングメーターのおかげで簡単にセットアップできる時代になったが、弾いてみるとやっぱり違う。同じフレーズでチョーキングした時などは薬指を少し多めに上げないと音が上がり切らない。考えてみれば当たり前だが、感覚的に改めて納得。その代わり、このユルさが低音弦のドヨーンというジミーペイジ・サウンドに一役買っているのだろうと思う。
 …というのを、xfyブログエディタで書いてみた。これがそのまま登録できるようだ。便利になったものだ。

2007年9月 2日 (日)

ダーウィンが来た!

日曜夜7時半からの、NHK総合「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」が毎週楽しみ。内容が面白いのはもちろんだが、音楽がまた素晴らしい。いろんな場面や状況に合わせた創作音楽的なものが多いが、テッポウウオが水面から30センチも飛び上がって枝の上の昆虫をパクッと食べる場面では、なんと!いきなりヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」。
 あのカッコいいイントロ。キーボードならではの音の積み上げがなんとも気持ちいいが、やってみるとキーはCで、あのアタックフレーズはG−C−Fの使い回しで作られている。キーボードで作った曲なのは明らか。最近はauのコマーシャルでも使われているのがうれしい。
 しかし番組の特筆は、毎週のエンディング・テーマだ。この曲を聴くために見ているのかも知れないという気までする。ケニー・Gのサックスとウェイウェイ・ウーの二胡のコラボレーションがこの上もなく素晴らしい。前に番組の中で収録風景を紹介していたが、互いにこのレベルだとうまくいくんだなぁというのが羨ましいぐらいのセッションに見えた。音楽って、いいよね。

2007年5月25日 (金)

今度は左腕…

 年末の顔の怪我がなんとか治ったあたりから、なんだか左手の指がしびれてきた。最初は指だけだったのに、だんだんと手から腕へと広がって、5月の連休あたりからついに左腕全体がいつもしびれているようになった。
 ギターはどうも思うように弾けない。キーボードは腕の構えが違うらしく、もっと痛くて弾けない。公私を問わずパソコンのキーはやたら打ち間違える。まともな文章が修正なしには打てない。これはいかん。
 大きな病院でレントゲンやらMRIやらで診てもらったら、どうも首が怪しく、ヘルニア性の頚椎狭窄で左手に行く神経が首の骨の間で圧迫されているところがあるとのこと。ううむ。
 仕事の姿勢が悪い人にが多い、と言われると…。確かにパソコンを使う時間は多いし、どう見てもきちんとした姿勢で使っているとは言えないし、電車の中ではいつもがっくりと首を落として眠っているし、バンドではずっと専業ギタリスト(つまり、前を向いて歌うことがない)なのでほとんどいつも下を向いて弾いているし、キーボードに至っては(立ち座りに関わらず)弾く時の姿勢・位置取りなんて自己流で正しいはずがないし、いちいち思い当たる節ばかり。どうも首の骨にかかる負担が多い、というのが現実らしい。おおお。
 しばらくは週2、3回のリハビリが必要ということで、これは大変に困った事態。現実の仕事に支障がある。なんということだ。しかし、処置室のベッドの上でずっと点滴のバッグを見上げていて思った。自分には予想もしていなかった経緯だが、これはこれでもうしょうがない、今日を起点にこれから出来るだけのことをしよう。ここはイモラだ、あの日セナはもっと首が痛かったに違いない、と思って今日のところはおしまい。

2007年2月13日 (火)

当世南無阿弥陀仏事情

 大学時代の一人暮らしの頃から大変お世話になった親戚の伯父さんが亡くなった。哀悼の想いひとしおだが、それはそれとして、お葬式に参列して何となく変なことに気が付いた。
 お坊さんのお経の木魚の拍が違う。日本のお経の木魚は、前打ちだとずっと思っていた。南無阿弥陀仏、なむあみだーぶつ、と言うときには、「な」む「あ」み「だ」ー「ぶ」つ、と前拍でボクボクボクボク打つのが普通だ。少なくとも、いままで聞いていたお経はそうだったから、そうだと思っていた。
 ところが、今日のは違った。な「む」あ「み」だ「ー」ぶ「つ」と、明らかに後打ち。アフタービート、つまりロックビートなのである。違和感を解明できたときの驚き。な、な、なにこれ。
 確かに、木魚を叩いていたお坊さんは、結構若かった。お経とは言え、あれがフツーのノリの世代なのかも知れない。ロック側の立場からは想い複雑だが、あと10年か20年もすれば、日本のお葬式はみんなロックビートで荘厳かつ華麗な、ボヘミアン・ラプソディ風になるのかも知れない。

2007年2月 6日 (火)

チェンジ・ザ・ワールド

 「天国への階段」と書いてしまったからには、これはどうしても書かなくてはならない。知名度から言うとレッド・ツェッペリンとは比べ物にならないテン・イヤーズ・アフターだが、「チェンジ・ザ・ワールド」は、彼らにとっても同じくらいの位置づけにある曲。キーはEmで、クロマチック進行のメインリフからも、ギターの6弦・5弦をベースにアルビン・リーが作ったことはすぐわかる。
 ちなみに、このメインフレーズはビートルズの「アビィロード」A面最後の「アイ・ウォント・ユー(シーズ・ソー・ヘヴィ)」と同じフレットパターンである。同じ形は、ディープ・パープル「マシーン・ヘッド」のB面最後「スペース・トラッキン」でも使われている。ギタリストは自分の一番低い音をルートにしたフレーズを作ろうとして、結局みんな同じことを考えるんだよね、ということか。
 それはともかく、「天国への階段」に似ているとは言え、「チェンジ・ザ・ワールド」の構成は美しい。アコースティックな前半と、アルビンの素晴らしい速さの後半の切替えが見事。テン・イヤーズ・アフターを知らない人にはぜひお奨め。

2007年1月23日 (火)

タンジェリン

 F#オクターブリフの「移民の歌」で始まるレッド・ツェッペリン3枚目の、本当に見落とされがちな慎ましやかな小品。しかし、一般のリスナーがどう思うかは別にして、少なくともロック・ギタリストはこの曲がその後の「天国への階段」のきっかけになっていることを知っている。Amから降りていくコード展開はまさに「天国への階段」そのもの。後半のリードギターもいわゆる歌い上げのジミー節で、あぁここからつながっているんだという想いに感慨ひとしお。まったく違うジャンルで例えると、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」に対する短編「前哨」を思わせるというか、そんな感じです。独り言です。

2007年1月20日 (土)

グラスウールの城

 これは、エコーズのリーダーから独立して今や作家から映画監督までこなしている辻仁成の、かなり初期の作品である。題名はレコーディング・エンジニアの仕事場、無音響室のことなのだが、結構学術的な調査を基に書かれていて面白い。
 30センチLPや45回転EPはあっという間にCDに取って代わられてしまったが、「どうせ聞こえないんだから」という理由でデジタル化の際に人間の可聴域より高い音を切り捨てる規格にしてしまったことが、その後の人類の感性を不可逆的に損ねてきているという話だ。
 CDが普及し始めた頃、みんなが何となく冷たい音だと感じた。そのデジタル音源はmp3などの圧縮音源になり、さらに曇った音に押し潰されて、ますます原音を失う方向に進んでいるようだ。
 脳は鼓膜が物理的に反応する音よりも高い倍音を実際に聴き、アルファ波で応えている。CDとイアホンからは感動は生まれない。やはり音楽は生で聴き歌い奏でることが本来の姿のような気がする。

2007年1月17日 (水)

年末年始大怪我散々の巻

 年末の仕事納めの後、酔って帰り道で何かに躓き、顔からコンクリートの歩道に突っ込んだ。メガネはメチャメチャ、顔面血だらけ、左手はカバンを持っていたので奇跡的に何ともなかったが、右手は手のひらズルむけこれまた血だらけ状態。よくこれで電車に乗れたよなという感じ。
 おかげでお正月も顔の左半分と右手が外傷の赤と内出血の紫の悲惨な状況で、大判マスクと右手包帯ぐるぐる巻きで何もできない。新しいメガネも休み明けでないと出来てこないからいろんなものがよく見えない。なんちゅうこっちゃ。
 パソコンはなんとか使えたけど、ギターにしろキーボードにしろ、手を怪我すると楽器はだめですね。なんとか弾けても力が入らないからどうにも情けない感じ。大いに反省しております。たまにはこういうこともあるというお話でした。

2006年12月19日 (火)

僕等の世界をバラ色に

 キーボード練習支援ソフト「ここだよ君」が窓の杜に紹介された。
http://www.forest.impress.co.jp/article/2006/12/18/kokodayo_kun.html
 ピアノと、ピアノが弾けるヤツに憧れの裏返しの敵意すら抱いていたギター少年が、でもこんなのがもしあったら…と当時思っていた夢のようなキーボード。コードボタンを押すと、その構成音のキーが光る。そんなものがパソコンのソフトになった。
 「ここだよ君」のおかげで弾けるようになった曲のひとつが、シカゴの「僕等の世界をバラ色に」(Color My World)。そう言えば、あの頃のCBSソニーはシカゴの曲はみんな「僕等~」で通していたな。
 ロバート・ラムのピアノ・アルペジオで始まり、2クールめで今は亡きテリー・キャスのボーカル、3クールめでウォルター・パラザイダーのクラリネットにあとでロバート・ラムのオルガンが重ねられている4分の3拍子の小品。組曲「バレー・フォー・ア・ガール・フロム・ブキャノン」の中の静かな美しい曲だ。
 しかし、とにかくコード推移が素人には予測不可な曲。各小節の最初の音だけ左手だというのも、「ここだよ君」で判ったようなもの。ギターでは絶対つくれないキーボードならではの曲だ。
 書いたジェイムズ・パンコウは登場していない。ちなみに、シカゴ全曲のなかでも一番好きなのはこの組曲のオープニング「僕らに微笑みを(Make Me Smile)」。

2006年12月 8日 (金)

今日はイマジンを弾こう

あの日の朝。何度目かの引越しで、新しい部屋ではじめての新聞を開いた時の驚き。ジョン・レノン凶弾に倒れる。まさか。こんなことがあるなんて。しばらくは信じられなかった。あの頃、ジョンを超えるような存在はもう出てこないだろうと思ったが、やっぱりそのようになっている。あれ以来、毎年12月8日は、あぁまた1年経ったという悲しい想いの日になった。今日はヘッドホンで静かにイマジンを弾こう。

2006年11月29日 (水)

緊張体の楽器、自然体の楽器

 という区分があるそうだ。緊張体の代表は弦楽器。なにしろ弦の張り方で音程を作っているのだから当然だ。バイオリンからチェロ、コントラバスまで、確かに緊張系という名にふさわしい。自分に身近なところではやはりギターだ。リッチー・ブラックモア風に3フレット分をチョーキングする時など、いつもどこかで「切れないか」「このまえ張り替えたのはいつだっけ」という不安を感じつつ弾いているのも確かである。こちらの攻め具合もさることながら、相手の限界もあるということを踏まえて弾くことが暗黙の了解という感じだよね。
 一方の自然体はと言えば、ほとんどの管楽器がそうらしい。金管楽器、木管楽器とも、自分自身の構造とプレイヤーの息使いによって音を発している。自分の素材としての音楽性が評価されていて、特に演奏に際して緊張状態にあるわけではない。手に持つ多くの打楽器もそのようだ。
 ところが、こういう話でも何となく近寄りがたい存在がある。ピアノだ。自然体と言っていいオルガンや、鍵盤の配列は同じの木琴、鉄琴などと違って、ピアノははっきりと緊張系である。いや、その代表かもしれない。何しろ普通のアップライトですら1トン、コンサートグランドに至っては数トンにもなる張力でピアノ線が張りつめられ、ただただハンマーで叩かれるのを待っているのだ。
 ギタリストは後片付けの時に弦を緩める。たとえ1ミリでもネックが反ってしまったら大変なことを知っている。だからギターは出番に備えて緊張し、役目を終えれば弛緩する。ところが、ピアノはそうではない。つねに何トンもの力を内に秘めながら、弾いてもらうのを待っている。

2006年11月12日 (日)

JUNO-GでレコーディングしてCDまで焼ける本

というのが駅前の楽器屋さんに置いてあった。ローランドのカタログみたいなもので、B5判28ページ。
RS−50を黒くしただけのようだったJUNO−Dに比べ、JUNO−Gはデザインからして往年のJUNO−6を思わせる。
中身がスゴイことは既に知っている。そのうえこんなカタログで解説してくれるとあっては、うぅたまらん。パソコンを呑み込んでしまったシンセ、というのがFantom Xのイメージだが、それがもっと身近になったような気がする。しかしそれにしても、JUNO−Gというのは字面だけでもJUNO−6を彷彿とさせてくれる。ということは、次はやっぱりアナログ時代の最高峰、JUPITER−8を21世紀に甦らせる、JUPITER−Hか。

2006年11月10日 (金)

今夜のNHK「英語でしゃべらナイト」にエリック・クラプトン登場!

スタジオに来るのかと思ったが、そうではないらしい。NHKとクラプトンという組合せで忘れられないのが「クリーム解散コンサート」。

記憶だけで書くので間違いがあるかもしれないが、1968年11月26日、クラシックの殿堂であるロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのクリーム解散コンサートの様子が、当時始まったNHKの「ヤング・ミュージック・ショウ」の第2回として放送された。たしか第1回はサイモン&ガーファンクルで、番組の中で効果的に使われた「アメリカ」がそのあと日本でシングルヒットになった。それはともかく。

何から何まで意外の連続。冒頭いきなり最後の曲「サンシャイン・ラヴ」で、終わると3人が楽器を置いてこれで解散、という演出。なんと、クラプトンはいつものサイケデリックSGではなく、真っ赤なギブソンES-335セミアコースティック。信じられない。なんで。
コンサートの様子の合間に、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーのインタビューがある。クラプトンは長い髪と伸ばした髭で今のステージ映像とはまるで別人。惜しげもなく奏法の説明をしてくれる。BBCのインタビュアーがマイクを向ける。

 何かちょっと説明してくれませんか?
「これはボリューム、このピックアップ用。こっちもボリューム、このピックアップ用」「これはトーン、このピックアップ用。こっちもトーン、このピックアップ用」
 あなたの得意なウーマン・トーンを作ってみてくれませんか?
「こっちのピックアップを使う。トーンを1か0に下げる。そしてボリュームをフルに上げる。こういう音になる」
(…それなりのフレーズ。たしかに)
 よく使うフレーズなどはストックしているのですか?
「あ、あぁ。よく使うのはそうだな、こういう…」
(うわ、すごい…)
「これをもっと簡単にすると…」
(あ、なるほど、そういうもんなの)
 たとえば、怒りとか、攻撃的な気持ちを表現してみてくれませんか?
「(ザ・フーの)ピート・タウンゼントみたいにギターを壊すのもいいんじゃないか」
 い、いや、音楽での例として、ギター・プレイとしてですよ
「あ、あぁ。じゃあ…」
(うわ、うわ、あ、あ、…)

突然画面は「ホワイト・ルーム」に切り替わり、ジャック・ブルースが例の謎めいた歌詞を叫ぶ。その後のインタビューはベースなしの語りだけ。
「我々は特定の目的のために曲を作らない」「歌詞やメロディではなく、演奏自体、音そのもので表現する」当時は分かっても分からなくてもそのまま納得したものだ。
「スプーンフル」「政治家」と続いて、その後ジンジャー・ベイカーがドラムセットの説明をしてくれる。
「これがタムタム、これがスネア」「これがシンバル、こっちはクラッシュ・シンバル」
あの頃はまだダブル・バスドラムの意義も分からなかった。
ドカドカバタバタといかにもジンジャー・ベイカーらしいドラムソロが始まり、本人納得したところで「これで終わり」とスティックを投げ出す。BBCも後を追わない。
最後はギターソロの途中から入る「アイム・ソー・グラッド」。当然のように、インプロヴィゼーションはスタジオ盤とはまったく違う。あっけにとられているうちに、最後のコーラスになって終わり。

ギターを弾きたい、やってみたい、とはっきり思った遠い昔の記念すべき1時間。

2006年11月 5日 (日)

ポール・モーリア逝く

 記念すべき最初の記事が追悼になってしまったが、それはそれで仕方がない。昔むかし、日本のポップスにイージーリスニングというジャンルを築き、華麗なストリングスで一世を風靡したポール・モーリア。普通の編成のグランド・オーケストラをロックビートのドラムスの上に乗せる、というアレンジ感覚がとにかく新鮮だった。ポール・モーリアで聞いてから、気になってオリジナルを探した曲も結構あったような気がする。ジェフ・ベックの「恋は水色」もそんな感じか。数々の30センチLPを残して、空の上にステージを移したポール・モーリアに合掌。