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2015年9月

2015年9月22日 (火)

「やばい」は、ヤバイ!

文化庁による平成26年度「国語に関する世論調査」というのがあったらしい。日本語の乱れだの、敬語や慣用句の誤用だのと必ず話題になるものだが、もともと「言葉は時代と共に変化していく」と思っているので、「そういう状態か」と思うだけで、正誤を断する判定に加わるつもりは無い。

とは言うものの、その中で気になるものがあった。「やばい」=危ない・危険な状況、ではなく、「素晴らしい・すごい」という意味で使う人が、10代後半で9割、20代で8割とか。これはすごい割合だ。

初めて直接聞いたのは、昨年の秋。自転車の国際レース、ジャパンカップ宇都宮の市街地クリテリウムで、沿道の鈴なり歩道ギャラリーとして偶然隣にいた(明らかに20代、制服姿の)OLお姉ちゃんから。パレードラップの1周目は、各チームごとに沿道の大観衆に手を振って笑顔を振りまいてゆっくり通る。しかし2周目は一斉に各車集団でレーススピード。ここで一気に雰囲気が盛り上がる。すると隣の彼女が「うゎっ、やばい!」「やばい!」「やばい、やばい!」と叫びだした。隣のオジさんには「やばい?なにが?」という感じだったが、程なく(あ~、なるほど)と分かった。「すごい!」と言っているのだ。たぶん初めて見たのだろう。3周目には全車スローダウン、チームごとに隊列を整えて、スタートラインに向かう。

当日のクリテリウムの結果はこの際どうでも(よくはないが)よい。オジさん達が「やばい、間に合わない」などと言っている間に、若者達は「自分には手の届かない状態」という意味を昇華発展させて「素晴らしい」にしてしまっていたのだ。これは歴史だ。たぶん、もう逆行はしないだろう。あとは現行世代が滅びて行くだけで、後世の研究家が、「【やばい】は、この時期に意味が変化して行ったものと思われる」という論文を書くに違いない。今の我々が、古文の「いとをかし」をワハハ爆笑の「可笑しい」とは思わないのと同じだ。

ところが、である。これを知識として知っていたのは、実はかなり前だ。昭和51年(1976年)5月発売の単行本、ジャズ・ピアニスト山下洋輔氏の「ピアニストを笑え!」(晶文社)を出てすぐに買って読んだ。主に当時の月刊「ヤマハ・ライトミュージック」誌の連載を集めたものだ。その中の「セシル・テイラー 蜜月の終わり」編に出てくる。しかも、その記事自体の初出は「レコード芸術」誌、昭和48年(1973年)7月号だ。今年は昭和90年、山下洋輔は42年も前に、この「やばい」を次のように書いていた。

セシル・テイラーを聴いてから、しばらくぼうっとしていた。(中略)「今世紀最大の見世物だ」「あれならワンコンサート百万円取っても高くない」「あれが世界というものだ」「一時間半弾きっぱなしで汗ひとつ かきやがらない」「あの踊りと歌はなんだ。やばいなあ」(注 「やばい」はバンド用語で物すごいという意味にも使う) ←この注は原文
こんなことをとりとめもなく考えながらふらふら歩いていると、若い男がひとり寄ってきた。「山下さん。どうでしたか」「すごく良かったです」(続く)

これが42年前にあったことだ。当時すでに、「やばい」(とても自分には手が届かない)「すごく良かった」という意味合いが出来ていたのだ。それを明記した本が、かの文筆家・山下洋輔師によるものであるだけに、その異質な組み合わせを隠れ弟子はずっと忘れていなかった。バンド用語という狭い世界から、世の中一般に広まるのに40余年を費やしたというだけに過ぎないのだろう。「やばい」という感覚は、やっと陽の目を見てきたのかも知れない。

平気な顔をして言ってやろう。「昔から、ミュージシャンはそう言ってたよ」。

 

2015年9月 5日 (土)

スカボロー・フェアの記憶

先輩から、素敵なブログをご紹介いただいた。

「那須ダイアリーnew」(あみ さん)

http://amisabunew.blogspot.jp/

素敵な、という月並みな一言では恐縮の極みで、穏やかで静かな気品あふれる抒情詩的なブログ、という感じ。

なかでも、ぐっとマイッたのはこれ。

始まりの一枚と一冊

http://amisabunew.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html

ペーター・ホフマンの歌う「スカボロフェアー」を知ったのは…、で始まる。

「スカボロー・フェア」は、たぶんほとんどの人にはサイモン&ガーファンクルのポップスとして知られているが、元は(今でも)イギリス北東部の民謡である。スカーバラ(Scarborough)の市(いち、Fair)を題材にしている。

「スカーバラの市に行くのですか?」「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」「そこに住んでいる人に伝えて下さい」「彼女はかつて、真実の恋人でした」

当時の中学生は、この「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」をそれぞれ女性の名前だと思っていた。その後もずっと。それなのに、なぜ三人称単数現在で続くのかな、と思いながら。

「縫い目も針仕事もなしで、綿のシャツを作ってくれ」「枯れた井戸でそれを洗ってくれ」「イバラにかけてそれを乾かしてくれ」「海と砂浜の間に1エーカーの土地を探してくれ」と、出来ないことを延々と要求する。そして、「そのとき、彼女はわたしの真実の恋人」になるのだと。

出来そうにないことを次々に要求し、それを叶えた者の求愛を受ける、という筋書きは洋の東西を問わず普遍的にあって、日本で言えば「竹取物語(かぐや姫)」がその古典型である。

そして、それはそれで活かしながら、ポール・サイモンはそこに当時の反戦メッセージを載せた。それがタイトルの「スカボロー・フェア/詠唱(Canticle)」になっている。後半は二つの旋律がまるで一つの歌のように補間しあいながら展開する。

「丘に舞い散る落ち葉が、銀色の涙で墓石を洗う」「一人の兵士が銃を磨く」「真紅の大軍が戦いの炎となり」「将軍は兵士たちに殺せと命じる」「自分たちでも遠い昔に忘れ去った理由のために」

16チャンネルのマルチトラック・テープレコーダーがまだ無くて、8チャンネルを同時に2台、手動で合わせて作ったとかいう話をどこかで読んだ気がする。たぶん、本当だろう。

ハードロック兄ちゃんになる前のポップス兄ちゃんは、サイモン&ガーファンクルが大好きだった。ギターが弾けないうちから、S&Gの歌は英語で歌っていた。周りには疎まれながら、だけど。

あの頃は洋楽系の情報源と言えば月刊の「ミュージック・ライフ」誌くらいしかなくて、アルバムチャートでアメリカ・ビルボードでは毎月上位が入れ替わっているのに、イギリスのニューミュージック・エクスプレスでは「明日に架ける橋」が1年以上君臨し続けていたのを覚えている。遠い昔の話だ。

那須の「あみ」さん、ありがとうございます。

 

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